ハーバード流交渉術「BATNA」とは?
✍️記事要約
「なんだか、いつも駆け引きに負けている気がする……」。商談の場の駆け引きや交渉ごとに対する苦手意識はないだろうか?「商談などで必要な交渉力は、先天的なものではない」というのは、元カリスマ予備校講師で、現在は東京大学大学院で認知科学をベースとした研究も行う犬塚壮志氏。犬塚氏によれば、駆け引きが苦手な人でも、交渉を有利に進めることができる秘けつがあるという。(教育コンテンツプロデューサー/株式会社士教育代表取締役 犬塚壮志)
なぜ、相手にだけ都合の良い条件が残るのか
「なんだか、モヤモヤするなぁ……」
「いつも、あの人のいいように言いくるめられている気がする……」
商談などの駆け引きの後で、このような感覚を味わったことはないでしょうか。自分が希望する条件はなぜか満たすことができず、終わってみれば相手にとって有利な条件ばかりが残っている……。ビジネスをしていれば、大なり小なり、後味がすっきりしない商談を経験したことがあるのではないかと思います。
なぜ、このようなことが起きてしまうのでしょうか?原因の一つに、「交渉力」の差が考えられます。相手の交渉力のほうが強いと、当然のことながら、自分の望むような結果は得られにくくなってしまいます。
実は私自身、交渉力が脆弱(ぜいじゃく)だったために、何度なくビジネスの現場で駆け引きにしくじり、苦渋を味わってきました。
■ 独立当初、交渉ごとがまったくうまくいかなかった
私は2017年に教育系の大手企業を退職し、独立しました。独立直後の事業領域はこれまでとはまったく異なることもあり、会社の看板や役職名、さらには業界内では重宝される実績もすべてリセットされた状態でのスタートでした。
このような経緯から、独立してからというもの、営業活動や商談などの駆け引きでは常に弱い立場でした。商談などの駆け引きでうまくいったという経験が独立当初はほとんどありません。
商談で自分の望んでいる条件を満たすことに、常に高いハードルを感じていました。安く買いたたかれるのは当たり前。それ以上にキツかったのは、相手の都合の良いように利用されたり、未払い金を回収できなかったりしたときでした。
このような状況を打破するために、当時、学び直しを目的に入った大学院で「交渉学」を専攻することにしました。そこで学んだのは、交渉学の研究や教育では世界トップと名高いハーバード大学ロースクールで実際に行われているプログラムとほぼ同じ内容のもので、3カ月ほどかけて受講しました。
■交渉で圧倒的有利になる「バトナ(BATNA)」とは
交渉学を一から学んだことで、自分の駆け引きの弱さの原因が何なのかを、ようやく理解することができました。
その最大の原因は、「バトナ(BATNA)」をまったく考えていなかったことでした。バトナとは、「Best Alternative To a Negotiated Agreement」の略で、目の前の相手との交渉が決裂したときの最良の代替案のことです。
例えば、ある交渉で自分が提示した条件をA社にのんでもらえず決裂したとしても、「その条件(例えば金銭面)よりほんのわずかだけ劣る条件を、B社はのんでくれることにはなっている」といった代替案です。
交渉を始める前にバトナを設定し、そのバトナの存在を相手にチラつかせることで、実は自分の交渉を有利に進めることができます。バトナで設定した条件を下回らないように交渉を進めれば、自分が損をする結果を確実に回避することができるためです。
私は大学院で学んだプログラムの内容と、自分が専門としている認知科学や認知心理学の知見を元に、商談の駆け引きで必要な交渉力を徹底的に磨くことにしました。知り得た理論をビジネスの現場で成果が出るよう、実際のやりとりを何度も想定し、実践で試しながらチューニングを繰り返しました。
そのプロセスの中で生まれたのが、バトナを活用した話の組み立て方です。
■ バトナを生かす!駆け引きがうまい人の「話の組み立て方」
バトナを生かした話の組み立て方は、以下の3ステップで行っていきます。商談などの駆け引きなどで、自分にとって不利な条件を押し付けられたり、損をする結果になったりすることを絶対に避けたいときに必須となります。
Step1 自分にバトナが存在することを伝える
Step2 そのバトナをぼかしながら伝える
Step3 そのバトナを選ぶよりも、今回の交渉を成功させたいという思いを伝える
各ステップを具体的に説明していきます。
Step1では、自分にバトナが存在することを伝えます。「この交渉がうまくいかなかった場合は、残念ですが他の方法を取ることも視野に入れています」のようなフレーズです。もし、言い回しが直接的すぎて、角が立ちそうだと感じる場合は、「自分」ではなく、自分の会社の上司のような「他の意思決定者」が代替案を持っているといったニュアンスで伝えます。
Step2では、バトナをぼかしながら伝えます。例えば、「近いうちに、別の業者さんに、これまでより良い条件で対応してもらうことも検討しています」のような曖昧な言い回しです。
このステップの大事なポイントは、「ぼかす」ことです。「近いうち」と明確な日取りは伝えず、また、「別の業者」と具体的な名前も出しません。さらに、「これまでよりも良い条件」と、これまた条件は具体的に出さないようにします。
こうすることで、自分にはバトナがあることはアピールできるものの、それが具体的にどんなものであるかを相手に知られないままにすることができます。このような言い回しをすることで、この後自分が提示する要求や条件に対して、相手がふっかけてきにくい状況を生むことができるのです。
Step3では、そのバトナを選びたくない、つまり今回の交渉を決裂させたくないという自分の思いを伝えます。他の選択肢(代替案)があることを伝えて終わってしまうと、相手に与える印象は決して良くはありません。「ただ、私としては、今日のお話をどうにかうまくまとめていきたいと思っています」のようなフレーズで、目の前の相手との交渉を成功させたいという思いをしっかり伝えます。
■ 家電量販店でセールスをされたら、どう対応する?
最後に、バトナを生かした駆け引きがイメージできるよう、具体的なトーク事例を紹介します。
自分が客として家電量販店に行ったときに、店員さんからセールスを受けた状況を思い浮かべてください。店員さんのセールストークに対しての返答を想定します。
Step1 「他のお店もいくつか回って検討しているところなんですよ」
Step2 「あるお店で、すごく自分の条件に合うものが見つかったんですよね」
Step3 「ただ、定員さんの説明がすごく分かりやすいこのお店でいつも買っているので、今回もここで買いたいんですよね」
駆け引きをうまく進めるポイントは、交渉を始める前に、自分の中でバトナを明確にしておくことです。どのようなケースでも、探せば何らかのバトナはあるはずです。そのバトナを交渉の前段階でどこまで明確にできるかがカギとなります。
例えば、金額交渉であれば、事前にその商品やサービスの相場について情報を集めておき、バトナを設定します。具体的かつ精度の高いバトナを暫定的に設定しておくことで、そのバトナを下回らないよう意識しながら相手とやりとりでき、交渉を有利に進められるのです。
繰り返しになりますが、設定したバトナは相手に決して教えてはいけません。その一方で、バトナは明確に設定しておく必要はあります。なぜなら、明確なバトナを設定しているからこそ、バトナのどこをどうぼかして交渉相手に伝えれば良いかが判断できるからです。バトナを作る力こそが、交渉力の源ともいえるでしょう。
商談などで必要な交渉力は、先天的なものではありません。交渉力は身に付けようと思えば、誰でも身に付けることができます。「話がうまい人には、駆け引きで勝てる気がしない……」などと思わず、ぜひバトナを主軸にした交渉力を磨いてみてください。そうすれば、必ず成果は付いてくるはずです。