上原浩治が息子に絶対にしないこと
✍️記事要約
「主役はいつも子どもたち」
スポーツでも勉強でも、子どもたちには、まず好きからスタートしてほしいと願っている。親や指導者に忘れてほしくないのは、「一番は子ども」だということ。5月5日、「子どもの日」に改めて、そのことの大切さを記したい。
野球教室に呼ばれると、技術指導やトークよりも何より心掛けていることがある。野球に限る必要がないので、自分が打ち込んでいる競技を好きになってほしいということである。好きになればもっと練習しようと思うだろうし、もっとうまくなりたいという気持ちになる。自分が好きなことが向上心につながるのではないだろうか。
勝利至上主義には「負」のイメージがつきまとうが、実戦から学ぶ機会はすごく大事である。勝つ喜びも負ける悔しさも、その後の練習にあらわれ、成長につながっていく。
話がややこしくなるのは、指導者や親の「介入」があるからだ。例えば、柔道では小学生の全国大会が中止になったという。対戦相手や審判に汚い野次を飛ばしたり、有利な階級で戦うために減量を課される子どもがいるからだそうだ。子どものスポーツ現場では、言うまでもなく主役は子どもである。指導者の中には、子どもから聞かれた疑問に理にかなった教え方で進歩に導くような人もいるだろう。一方で、感情任せに声を荒げて子どもを委縮させ、「もういやだ」と思わせてしまう人もいる。エラーで怒る指導者もいるが、プロでもエラーをする。
お茶当番制などはもってのほかである。のどがかわくなら、指導者だろうが、誰だろうが自分で飲み物を持ってくればいい。ただ、それだけのことである。子どもだけでなく、保護者にまで負担を強いるような悪しき伝統はすぐにやめたほうがいい。
私も息子が野球をやっている。練習や試合の見学に足を運ぶことは楽しみの一つである。一方で、決して安くない授業料を払っているけれど、私からすれば全く練習しないようにみえる。自分で行きたいと言った学校なんだから、「もうちょっと練習せえよ」って言いたくもなる。苛々することもある。だけど、叱ることはしない。うまくなりたいかどうかも最後は自分次第だからだ。私が野球をしていたときも、小中学校時代の指導者だった父から怒られた記憶がほとんどない。将来、プロ野球選手になるとも思っていなかっただろうから、好きにやればいいと放任されていたのかもしれない。結果、そんな人間でもプロに行って、メジャーでもプレーできた。そのことを自慢したいわけではなく、親が「介入」できる部分はそんなに多くないということが言いたいのだ。最後は自分がどうなりたいか、そのために何をしたいかを考えて実践するしかない。
「主役はいつも子どもたち」今日が、そういう思考回路を身に着けるためのいいきっかけになってほしい。子どもたちには、自分の人生なのだから、自分で考えて熱中できるものに巡り合ってほしい。そして、時間が許す限り、打ち込んでほしい。試合があれば、勝つこともあれば、負けることもある。その結果をどう受け止めるかは自分で考えればいい。それを見守り、応援できる保護者や指導者であってほしい。「理想論」かもしれないけど、子どもの日だからこそ、子どもが取り巻く環境を見つめ直す時間の一助になってもらえたらうれしい。
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