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佐々木朗希が投げなかった最後の夏 大船渡ナインの本音とは[2022.4.22]

佐々木朗希が投げなかった最後の夏 大船渡ナインの本音とは

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✍️記事要約

✅ 佐々木朗希が投げなかった最後の夏「聞きたかったんですけど…やめました」“仲間”と“怪物”の狭間で揺れた大船渡ナインの本音

2019年夏の岩手大会決勝。港町の公立校は超高校級のエースをマウンドに送り出すことなく敗れ去り、球界に議論を呼んだ――佐々木朗希を擁した大船渡高校の最後の夏を振り返ります。【初出:Sports Graphic Number1008号(2020年7月30日発売)『佐々木朗希と大船渡ナインの未完の物語』より ※肩書などはすべて当時】

 160キロの感触はまだ左手にあるのだろうか。2020年夏、及川恵介はもう捕手ではなかった。丸刈りだった髪が伸びた、東北学院大学1年生だった。

「野球はやめました。去年夏の大会が終わってどこの大学からも話がなかったですし、そんな実力もないかな、と自分で思ったので。迷いは……ないですね、今は……」

 令和の怪物と言われる佐々木朗希とバッテリーを組んだ相棒は、去年のあの試合を最後に野球をやめた。あの試合とは、岩手から全国へ「高校野球とは何か」「甲子園とは何か」を問いかけた夏の決勝戦である。

「あの試合を消化できたという感覚は今もないです。負けたのを朗希が投げなかったせいにするのは申し訳ない。ただ同じ負けでも朗希が出て負けたなら、しょうがないって開き直れたかなと……。大船渡としてベストを尽くしたのかなと今も疑問です」

 1年前は口にできなかった、ひとりの球児としての思いである。

■ 「きょう朗希、先発じゃないよ」

 2019年7月25日。大船渡高校は甲子園まであとひとつに迫っていた。

 まだ原石だった佐々木が「一緒に野球やろう」と呼びかけて集まった地元・気仙地区の仲間たち。野球エリートのいない県立高がエース佐々木の成長とともに、夢へ手が届くところまできた。そして決勝戦で横綱・花巻東に挑む。そんな試合だった。

 ただ、試合前の練習中、メンバーのひとりが言った。『きょう朗希、先発じゃないよ』

「大船渡はホワイトボードにその日のメンバーが書き出されるんです。僕もみんなもそれを聞いて初めて知りました」

 先発ピッチャーは、この大会で初登板となる控え投手だった。

「打者一巡くらいしてリリーフに朗希かな、とみんなで話していました。ただ僕は内心、一番強い相手と戦う決勝戦で、朗希ほどの投手がいるのに、小細工する必要があるのかなと疑問でした。ずっと朗希で真っ向勝負してきましたから。だから先発じゃないということは投げないのかも……と」

 試合前、誰かが佐々木に聞いた。投げないの? 前日の準決勝、129球で完投したエースは「わからない……」といつになく歯切れが悪かった。

 決勝が始まった。及川は捕手としてゲームの流れをイメージしようとしたが、どうしていいかわからなかった。点の取り合いに持ち込もうにも、4番バッターである佐々木の名は打線にもなかったのだ。

試合は一方的になった。4対1、5対1……、9対1と点差が開いていく。静まり返ったベンチで佐々木はブルペンに行く気配もなく、独り考え込むように座っていた。

 及川は「バット引き」の係をしていた2年生の控え投手に聞いてみた。

「そしたら彼が『6回か7回から自分が投げる予定です』と。ああ、朗希は投げないんだとその時にわかりました。もちろん諦めてはいなかったですけど、3番の(今野)聡太が怪我で出られなくて、4番もいない。正直3年間やってきてメンバーの力はわかります。この打線で、この点差を逆転できるのかと思った時に難しいんじゃないかと感じている自分がいました……」

 2対12。不安と戸惑いの中で県立校は大敗した。ゲームセットの瞬間、及川は流れてくる涙の意味がわからなかったという。

「あんまり覚えてないですけど、勝手にっていうか、悔しくて涙出てきたってよりは、勝手に……わかんないですけど」

 及川は佐々木と同じ陸前高田で生まれ育った。高田小3年の時に東日本大震災に見舞われた。父親を亡くした佐々木とともに、がれきの中で野球をした。バッテリーはその時からだ。大船渡高校に入ったのも佐々木から「一緒にやろう」と誘われたからだった。だから無二の仲間である。

 ただ、及川は佐々木に「なぜ投げなかったのか」とは聞かなかった。

「聞いても仕方ないというか。もともとすごい選手だったんで。自分たちとは違う選手だったんで……」

あの夏、すでに彼は令和の怪物だった。仲間であると同時に、大人たちの言う“球界の宝”でもあった。及川はその狭間で揺れていた。あの日も、今も。

今野聡太は盛岡大学1年生だ。やはり野球はやめた。あの決勝のことで記憶にあるのは、泣こうにも涙が出なかったことだ。

 3番ファースト。だが4回戦で送球に飛びついた代償として右足肉離れ。それからは裏方にまわり、ベンチで声を出し続けた。

「チームメイトが『お前を甲子園に連れていくから、それまでに治せ』と言ってくれていたので、それを信じていました」

だが、決勝戦のベンチはどこかぽっかりと穴が空いたようだった。佐々木が試合中じっと思いつめるように座っていた。

「監督と何か話し合ったんだろうなという雰囲気でした。でも、僕としては最後の試合なのに勝ちにいってるのかな? と感じました。故障を避けて朗希を投げさせないにしても、なぜ2番手の(和田)吟太だったり(大和田)健人が投げないんだろうと……。彼らは監督に言われなくてもブルペンで準備していたのに……。だから泣くに泣けないというか、不完全燃焼でした」

■佐々木という才能を壊さないため――

 監督の國保陽平は3年生が卒業する前、自身の決断について説明したという。

『佐々木という才能を壊さないため、大人である自分が独断で責任を負った』。それは及川も今野もわかっていた。わかっていてなお、淀みは残った。だからなのか、今野はドラフトで佐々木がロッテに1位指名された時も、複雑な思いを抱えたままだった。

「ほかの部員たちは快く送り出そう、という雰囲気でしたけど、自分はあの決勝のことをまだ引きずっていました」

 佐々木とは小学4年からの付き合いで、誕生日は1日違い。今野がクリーンアップを打てるようになったのも、佐々木が打撃のアドバイスをくれたからだった。

 つまり今野も、仲間だった彼が戦いの最中に突然、令和の怪物として遠くにいってしまったことを受け入れられなかった。

「でも11月2日、僕の誕生日に……、あ、自分の方が1日早いんですけど、朗希が家にプレゼントを渡しに来てくれたんです。もうすぐ千葉に行っちゃうからって」

 今野の大好きなカルピスウォーターと、ロッテのお菓子。ただそれよりも今野は、彼が仲間に戻ったようで嬉しかった。

「僕は怪我しないように頑張れよとだけ言いました。なんで投げなかったのか、聞きたかったんですけど……やめました」

不思議である。あの決勝以来、なぜ……という思いを抱えながら、及川も今野も、ついに佐々木にはそれを問わなかった。

 その理由を及川はこう語った。

「監督と朗希のやり取りは僕らにはわからないですけど、本人も葛藤していたと思うんです。投げたい気持ちと。だから……」

 卒業の日、佐々木は及川と最後のキャッチボールをして、部員ひとりひとりと写真を撮って、怪物としてではなく、大船渡高校の仲間として旅立ったという。

■ あの決勝がピークじゃない

 あの日、心にできた淀みは消えていない。この先ずっと消えないかもしれない。もしそれを霧消させるものがあるとすれば、それは佐々木朗希の輝きなのだろうか。

「わからないですけど、多少は……。自分を含めみんなプロで活躍してほしいと思ってるんです。朗希には、あの決勝がピークじゃないってことを、押しつけがましいですけど、見せてもらえればと思います」

 終始、伏し目がちだった及川のまなざしがようやく前を向いた。

【初出:Sports Graphic Number1008号(2020年7月30日発売)『佐々木朗希と大船渡ナインの未完の物語』より】

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