打席でおう吐 心の病と歩む元選手
✍️記事要約
アスリートのメンタルは強靱(きょうじん)でなくてはならない――。現役時代、そんな概念に苦しめられたのが、プロ野球・オリックスの野手総合兼打撃コーチ、小谷野(こやの)栄一(41)だ。
幼少期から完璧主義で失敗を恐れた。2003年、ドラフト5位で日本ハムに入団。結果が求められる世界で、自らをギリギリまで追い込んだ。その成果は表れ、05年から一軍での出場機会が増える。
だが、06年になると、何をするにも億劫(おっくう)になる。体も思うように動かない。成績を残せず、二軍に落ちた。6月、イースタン・リーグの試合中、打席で嘔吐(おうと)した。その後も、守備中に倒れるなど状態は悪化したが、原因はわからなかった。
複数の病院で診てもらったが、異常は見つからず、チームドクターの助言で心療内科を受診した。告げられた病名は、恐怖や不安に突然襲われ、めまいや呼吸困難に陥る「パニック障害」だった。すぐには受け入れられなかった。
チームメートと顔を合わせるのも怖くなり、人目を避けて練習した。寮の自室に閉じこもり、食欲もなく、眠れなくなった。現在ほどパニック障害の認知度が高くなく、「弱いな」と心ない言葉を投げかける人もいた。
症状は改善されなかったが、チーム事情により、秋のフェニックス・リーグに出場せざるを得なくなった。「何回、吐いたっていい。いくらでも待つ。まずは打席に立つところから始めてみないか」。当時の二軍コーチで、オリックスのゼネラルマネジャー福良淳一(62)の言葉に救われる。嘔吐しても、倒れても寄り添ってくれた。野球ができる喜びを感じ、少しずつ前向きな心を取り戻していく。07年も不眠や嘔吐は続いたが、一軍に定着した。
5月に1号2ランを放った際、一部のメディアで自身のパニック障害について報じられた。病から復活したとする記事だったが、違和感を覚えた。克服したわけではなかったからだ。「弱さは乗り越えるものではなく、共に歩むもの」。今は、そう考えている。
■「弱さ」認め、共に歩む
「日本では、アスリートが弱さを認めるべきではないという風潮が強い。日本のメンタルの研究は海外に比べて遅れており、国際議論に参加できていない」。国立精神・神経医療研究センター研究員の小塩靖崇は指摘する。
小塩は19~20年、日本ラグビー選手会と共同で、当時のトップリーグの選手を対象にメンタルに関して調査した。回答した251人のうち10人に1人が「うつ・不安障害」または「重度のうつ・不安障害」が疑われる状態を経験し、自死を考えた選手も13人に1人の割合でいた。
不調を抱える選手ほど食欲や体重の変化、競技力の低下を感じ、現役引退後の生活を考える傾向が強いことも示された。小塩は「アスリートは強いと思われがちだが、一般人と同様に心の問題を経験している可能性がある」と話す。
こうした結果を受け、「専門機関の診療が必要なケースを発見し、対応する仕組み作りが必要」と小塩は強調する。20年には選手会とメンタルの問題を考える「よわいは つよい プロジェクト」をスタートさせた。競技を超えて賛同する元アスリートらのメッセージをサイトにアップ。ラグビー選手らが小学校を訪問し、悩みや不安を人に語ることで救われたケースを紹介し、その大切さを教えている。
小谷野は18年まで現役を続け、打点王に1度、ゴールデン・グラブ賞に3度輝いた。試合中などは、呼吸を調節できるように感じられる飴(あめ)を口にして心を落ち着かせていた。指導者となった今も病と歩んでおり、お守りとしてユニホームのポケットに忍ばせている。
「弱気になったり、不安になったりするのは悪いことでも、恥じることでもない」と訴える。そのうえで、「心の問題をクリアすれば、才能を発揮できる選手はもっといるはず。選手が打ち明けることができ、サポートできる環境があればいい」。他競技のアスリートの相談にも乗り、経験を伝えている。(敬称略)
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☘️ヤフコメ❗️ピックアップ☘️
人によって程度や症状に大きな差があるのですが
自分も意識しているし、そういう事や人に縁のない方にも意識してもらいたいのは
なんかしんどいんだな。という事だけは理解してあげて欲しい、そして柔らかく寄り添ってあげる(大丈夫?大丈夫?とか過敏に扱う必要はなんじゃないかと思っています)ことを無理のない程度にすること。
無理にするとやってあげてるという関係になってお互い望まない方向になってしまうこともあるので距離は保ちつつで。
あとは心療内科の薬の出し方がどうなのかと思う事も多いので
もっとカウンセリングやその他に気持ちを向けることができるプログラムを活用できるようになれることを願っています
✅ 友人がパニック障害を発症したての頃、目の前で倒れたのを見たことがあります。顔面蒼白になって吐き気でふらふらになり座っている事もできず……。
自分達が経験するちょっと気持ち悪いなっていう範疇を超えているように感じました。運動なんてまず無理です。発症から2年経ち、治療を受けながらですが、ようやく先月社会復帰。国家資格を持っていて、仕事も出来て判断能力も高かった子ですが、電車の乗り換えもままならずフルタイムでは働けない現状です。
きっかけは人それぞれですが、もう少しこの病気が社会に浸透し、決して怠けている訳ではない事、自分の気持ちではどうにかできるものではない事が広がるといいと思います。
✅ 私も都心のビル建設工事で近隣との土地境界でもめていたとき、現場に向かうにつれ運転していた車の中で吐き気をもようし後輩に心配されました。仕事に責任感を感じ逃げ場なく吐きながら歯を食いしばり仕事をやり切りましたが、現場終わりでこのままでは身体と心がもたないと思い辞表をだしました。無理だと思ったらムリせず逃げてもいいと思います。その後の仕事はまったく違う異業種ですが、追い込まれた現場をやり切った思いに比べたら様々な困難が楽に感じるようになり苦にならなくなりました。
思い返せばあの経験があってこその今があります。人間として成長できる経験でしたが褒められた事ではありませんでした。