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松本人志 今の思いと今後を語る[2024.12.25]

松本人志 今の思いと今後を語る

【記事詳細】Yahooニュース

✍️記事要約

✅ 松本人志が語る今の思い。そして見据える今後

「週刊文春」の記事をめぐり提訴した裁判が先月終結した「ダウンタウン」の松本人志さん(61)。裁判を起こしたタイミングで芸能活動も休止し、それ以降取材に応じることはありませんでしたが、今回「なんでも聞いてください」と胸の内を吐露しました。訴えを取り下げた理由、休止中の葛藤。そして、今後を見据える中で感じた相方・浜田雅功さんへの思いとは。

 話をさせてもらう前に、まずこれはしっかりと言っておきたいんですけど、今回のことでたくさんの人にストレスを与えてしまったこと、ここに対してすごく申し訳ないと思っています。

 家族もそうだし、相方もそうだし、後輩もそうだし、吉本興業にもそうだし、もちろん応援してくださっている方にもそうだし、僕のことで負担を強いてしまった、悔しい思いをさせてしまった。そういう全ての人に申し訳なかったと思っています。

 飲み会について言えば、僕としてはみんなで楽しんでくれればという思いしかなかったです。でも、後輩たちにも気を使わせていたのかもしれないし、嫌な思いをした方がいたのかもしれないという部分はある。そうしたさまざまな思いを、裁判を取り下げた時に出したコメントの中に「お詫び」という形で入れさせてもらいました。まずその言葉を伝えるところから、この場を始めさせてもらえたらと考えてきました。

◼️訴えを取り下げた理由

 当たり前ですけど、本当に何を聞いてもらってもいいんです。僕もしっかりとお答えするつもりでここにいます。だけど、一つどうしようもないのが裁判の内容については文春側との話し合いで決着がついたことなので、こっちが好き勝手に話せない。またこちらが一方的に話をすると、何のための話し合いだったのかということになってしまいます。これは本当に心苦しいというか、どうしようもないところではあるんです。

 そういう状況ではあるんですけど、今それでも話をしているのは、僕のことを応援してくれる人が本当にたくさんいたからです。ただただありがたいことですし、そこに向けてできる話はしたい。もしそれで前向きな何かを感じてくださるなら、伝えたい。その思いがあって、この場を設けてもらいました。

 まず近いところから言うと、なぜ訴えを取り下げたのか。これは取り下げ時に出したコメントに書いたとおりだし、それに尽きるんです。だけど、そこがあまり広く分かっていただけてなかったようなので、もう一回、僕から説明をさせてもらいます。

 裁判に関しては僕が勉強不足というところもあったんですけど、始める前と、始まってからで「え、これは聞いていたことと違うぞ」「イメージしていた空気じゃない」と思うところが多々ありました。

 世間の皆さんがどんな結果なら納得するのか。そのためにどれくらい時間がかかるのか。当初僕がイメージしていたことと実際に起こっていることにズレがあった。これが正直なところです。

 簡単に言うと、もう少し早く決着がつくと思っていましたし、証明したいことがもっと早く形にできると思っていたんです。でも、始まってみると、どうやら長くかかりそうだ。しかも、当初の目標を達成しても、それが広く納得に結び付くのかという疑問も出てきた。

 訴えているのは自分であって、訴えられたわけではない。そして自分から「裁判に注力するため」に仕事を休んだわけですけど、いつの間にか仕事に戻れなくなっている。裁判になってから、当初の思いとは違うところがたくさん出てきたんです。

 それとね、これも実際に休んでリアルに感じたことだったんですけど、収入がなくなるんですよね。休むことを決めたのは自分です。当然、頭では分かっていたんですけど、毎月送られてくるギャラの明細を見ると、恐らくアルバイトをされている学生さんよりも少ない。本当に振り込まれない。

 吉本興業ってすごいなとも思いましたし(笑)、純粋にプライドをへし折られました。何回も言いますけど、自分が決めたことです。でも、実際に現実を押し付けられるというか、明細を見ると屈辱を感じました。「これがあと何年も続くんや」。そう思ったのも実は大きいことだったんです。「いやいや、お前貯金があるやろ」と言われる方も多いと思いますけど、そういうことじゃなく心がズタズタになる。自分で決めた道ではあるんですけど、そんな状況にいることの不健全さを感じたんです。

 そういう中で裁判が続いていました。もちろん100点ではないけど、もし落としどころを見出すならここじゃないか。そう思えたのがコメントにも出した「物的証拠」の部分だったんです。ワイドショーなどではあまり深く触れられていない印象も持っているんですけど、僕の中ではここが大きなポイントでした。

 要するに、僕からすると、今回の記事において物的証拠がないと文春サイドが認めた。証拠がないなら、引き続き裁判をやって完全勝利を目指せばいいじゃないかという考え方もあると思うんですけど、それだと3年なのか、5年なのか、かかるかもしれない。しかも、収入もない。そして、ありがたいことに僕を待ってくれている人もいる。本当に、落としどころですよね。そういったものを総合的に考えた結果が今回の形だったんです。

 そして、そもそもなぜ裁判を起こしたか。自分の考えからすると「これはアカン」と感じる報道への憤りというか、正義感というか、そういうものが色濃く昔からあったんです。ほかの多くのタレントさんよりもそこの熱は高かったと思いますし「これはなんとかしないといけない」という思いも強かった。そんな中での今回のことだったので、これは訴えるしかないとすぐに決めました。

 裁判をすると発表した頃から「会見はしないのか」という声を聞きました。裁判が開かれている最中は法廷内で互いに言うべきことをぶつけているのに、その外でアレコレしゃべったら裁判の意味がなくなってしまう。

 次は訴えを取り下げた段階で「会見を」という声が聞こえてはきました。ただ、先ほど申し上げたとおり、文春側と話し合いで決着がついたことなので、僕一人が公の場で話すわけにはいかないし、こちらが話せる領域は決まっている。となると、結局聞く側も、こちらも、お互いにフラストレーションばかりがたまる場になるんじゃないか。

 伝えるべきことを伝える。それが純粋に成立しないというか、結果的に他の味も出てしまう。そう思ったので周りとも話した上で、自分の言葉を待ってくれている人たちに一番伝わるであろうやり方を選ぼう。そう考えたのが今回の取材だったんです。

◼️戻る場所

 訴えを取り下げて仕事に戻るとなったら、何をどうするのがいいのか。もちろん、ここも考えました。

 そこで出てきたのが「ダウンタウンチャンネル(仮)」。これはね、前々から構想はあって周りで言ってくれる人もいたんです。ただ、僕の腰が重くてなかなか動いてこなかったんですけど「『ダウンタウン』を見るならここ」という独自の基地局を作る。月にいくらか払っていただいて、プラットフォームも独自に作って、見たい人に見てもらいたいものを直接届ける。すごく間口の広い劇場というか、好きなもん同士が集まって、好きなことをやる。そんな場になるだろうと考えています。

 すでに実際に会議もしていますし、来春あたりにスタートしたい。週に何本か見てもらえる番組も作りたいと思っていますし、お笑いをする松本人志を見る場としてはここが最初になると思います。今のところだと。

 この流れで一つ言っておきたいのは、テレビへの決別だとか、反テレビだとか、そういうものではないということです。今の状況で自分に必要なこと。さらには新たな可能性を見出すこと。それを考えて立ち上げを決めました。

 改めて、今回のことであくまでも自分は雇われの身であることを感じたんです。スポンサーさんをはじめ、いろいろな方々が決めたことによって呼ばれたり、呼ばれなかったりする。当然なんですよ。でも、噛みしめました。

 それに対して、僕が「おかしいやろ!」というものではないし、そうなったら、その状況を受け入れるほかない。無理に僕を出そうとして迷惑がかかるのも心苦しい。一方で、待ってくれている人たちがいるんだから、いつになるか分からないものをいつまでも待っているわけにもいかない。それも「ダウンタウンチャンネル(仮) 」を立ち上げることにした実質的な理由です。

 あと、可能性を見出すという点。これはね、本当の話、僕はテレビに頑張ってもらいたいと思っているんです。今は言葉狩りじゃないけど、いろいろな幅が狭まっているのも事実です。そして、テレビを見る子どもたちが減っている。これも事実です。完全に悪循環が生まれています。

 言葉狩り的に、ちょっと何か言ったら炎上させられる。そもそも僕らなんて人と違うことを言う仕事なのに、今は「人と違うことを言うな!」と怒られる。我々なんて所詮は動物園の動物みたいなものです(笑)。珍しいからみんな見に来ていたわけです。それが今は「あの鳴き声がうるさい」とか「首が長いのが気持ち悪い」と言われる。また、それに対して園長が謝る。「首が長くてすみません」と。本当におかしなことになっています。

 お客さんから直接お金をもらってスポンサーになってもらう。「あんたらのことが好きだから、好きな絵を描いてくれたらいい」という人に見てもらう。そうなると、自ずと可能性は広がるはずです。何か面白いものを作ろうと思っているけど、現実的に今の現場ではできない。そう思っている人に来てもらえたら、面白いものを先細りさせないことにもつながるのかもしれません。
 そして、今回のことで止まってしまっている後輩たちもいます。小沢(スピードワゴン)もそうだし、ナベ(クロスバー直撃)もそうだし。これも難しいことなんですけど、僕から連絡をしても「大丈夫です」としか言わないんです。でも、それが本当だとは思えない。そういったメンバーもこっちに来て一緒にやれたら。そんな意味も込めて、新しい場を作ったというのもあります。

◼️相方

 「ダウンタウンチャンネル(仮)」をやるということで、浜田とも話をしました。直接会ったのは2~3回だったと思います。今回のことで「ごめん、ごめん」みたいなことは言いましたけど、別に何のクレームも言ってこなかったです。
 浜田も忙しいですし、これ以上に新しいことを始めるのも大変かもしれません。だけど、どんなジャンルであろうが、何をするんであろうが、とにかく一発目は浜田と二人でやりたい。それは思っています。

 今までバタバタだったというのもありますし、あらゆる作品を見るということができなかったんですけど、この一年はこれでもかとアニメもドラマも見ました。すさまじい数を見たので、情報量としてかなり吸収したとも思っています。それがプラスに出るのか、マイナスに出るのかは今後次第なんでしょうけど。
 ただ、このまま終わる気はないです。よく「大阪芸人は二回売れないといけない」と言われてきました。大阪で売れて、そこからまた東京で売れないといけない。僕は三回売れないといけない。今までの“売れる”とは違うのかもしれませんけど、ここから三回目を目指そうと思っています。

 変な仮定ですけど、今年が普通の2024年だったら、なんとなく2~3年でこの仕事を辞めていたと思います。現状に何となく満足しているような感じになって2~3年で区切りをつける。実際、辞める算段というか、完全にゼロにはならないかもしれないけど、番組を整理して、こんな流れで…ということは考えていました。
 それがね、大きく変わりました。着陸態勢に入っていたところから、なんでしょうね、着陸しようとはしていたんですけど、今回のことで車輪がなくなったというか。着地するにもできなくなったというのが近いかもしれません。もう飛ぶしかない。
 最終的にどこまで飛ぶのか。どんな飛び方をするのか。それはまだ分かりませんけど、もう一回売れるためにやる。来年はそんな年になると思っています。

■松本人志(まつもと・ひとし)
1963年9月8日生まれ。兵庫県尼崎市出身。吉本興業所属。82年、小学校、中学校の同級生だった浜田雅功とコンビを結成しNSC大阪校1期生として入学。83年、コンビ名を「ダウンタウン」に決める。MBSテレビ「4時ですよーだ」などで注目を集め、88年に拠点を東京に移す。日本テレビ「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」、フジテレビ「ダウンタウンのごっつええ感じ」などで全国的な人気を得る。「М-1グランプリ」「キングオブコント」など賞レースの審査員も務めてきた。

  
■英訳 

The lawsuit involving “Weekly Bunshun” was recently concluded, and Matsumoto Hitoshi (61) of the comedy duo “Downtown” has decided to break his silence. Having suspended his entertainment activities at the time he filed the lawsuit and avoided interviews since then, he now says, “Ask me anything,” as he opens up about his thoughts. He discusses why he withdrew the lawsuit, the struggles during his hiatus, and his feelings toward his partner, Hamada Masatoshi, as he looks toward the future.

Before We Begin

Before I say anything, I need to start by expressing my deepest apologies for causing stress to so many people through this matter.

This includes my family, my partner, younger colleagues, and my agency, Yoshimoto Kogyo. Of course, I also feel apologetic toward my supporters. My actions placed burdens on many people and caused them frustration and disappointment. I am sincerely sorry to everyone affected.

Regarding the drinking gatherings, my intention was always just for everyone to enjoy themselves. However, I may have inadvertently made others uncomfortable or imposed on them. I included my apology for these things in the statement I released when I withdrew the lawsuit. I wanted to begin this conversation by reiterating those words of apology.

Why I Withdrew the Lawsuit

Feel free to ask me anything; I’m here to answer as honestly as I can. That said, there’s one restriction: the details of the lawsuit itself. Since the case was settled through discussions with Bunshun, I can’t speak freely about the matter. If I were to do so unilaterally, it would defeat the purpose of those discussions. This is an unavoidable limitation and one I deeply regret.

Despite this limitation, I felt it was important to speak now because of the overwhelming support I received. I am profoundly grateful for that support, and I wanted to convey whatever I could in the hope of providing something positive for those who have stood by me. That’s why I agreed to this interview.

To explain why I withdrew the lawsuit, as I mentioned in the statement I released at the time, it comes down to discrepancies between my expectations and reality. When the lawsuit began, I envisioned a certain outcome. But as it progressed, I encountered numerous unexpected elements.

I assumed the case would be resolved relatively quickly and that I could present my evidence in a clear-cut manner. However, as it turned out, the process was likely to drag on for years—three, perhaps even five. Moreover, I began to question whether achieving my initial goal would truly lead to widespread acceptance or understanding.

Another significant factor was the financial strain. I voluntarily stopped working to focus on the lawsuit, fully understanding the consequences. Yet, seeing my income statement and realizing it was less than what many part-time student workers earn was a harsh reality check. It crushed my pride. While this was a situation I brought upon myself, it was deeply demoralizing.

Ultimately, I decided to prioritize finding a resolution that allowed me to move forward. Bunshun acknowledged the lack of physical evidence supporting their claims, which was a significant point for me. Continuing the lawsuit to pursue a “complete victory” would have consumed years of my life and further delayed my return to work, despite the fact that many people were waiting for me. Balancing all these factors, I determined that withdrawing the lawsuit was the best course of action.

A Place to Return To

After withdrawing the lawsuit, I began considering how to return to work. That’s when the idea for the “Downtown Channel (tentative)” emerged. This concept had been floating around for a while, with people suggesting it to me, but I had been hesitant to act on it. The plan is to create an independent platform where people can pay a monthly fee to access content. Think of it as a broad theater where like-minded individuals gather to enjoy what they love.

We’re already in discussions, and I aim to launch by next spring. The platform will feature several programs each week and serve as the primary venue for my comedic work going forward. I want to clarify, though, that this isn’t a declaration of separation from television. Instead, it’s about exploring new possibilities while adapting to current circumstances.

My Partner

In discussing the “Downtown Channel (tentative)” with Hamada, we met face-to-face two or three times. I apologized to him, saying, “I’m sorry, I’m sorry,” but he didn’t voice any complaints. He’s busy himself, and starting something new isn’t easy. However, whatever the project may be, I want the first one to be something we do together.

Looking Ahead

This past year, I had the chance to watch countless dramas and anime, absorbing an enormous amount of content. I’m not sure if this will be a positive or negative influence, but I’m determined not to let things end here.

There’s an old saying among comedians in Osaka: “You have to become popular twice—once in Osaka and once in Tokyo.” For me, it feels like I need to aim for a third wave of popularity. Though my career trajectory might differ from the past, I’m ready to rise again. Next year will be a year of new beginnings.

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