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格闘技カメラマンが語る、那須川天心とヒクソン・グレイシーの素顔とは[2022.6.24]

格闘技カメラマンが語る、那須川天心とヒクソン・グレイシーの素顔とは

【記事詳細】Yahooニュース

✍️記事要約

✅ 格闘技カメラマン・長尾迪が語る、那須川天心とヒクソン・グレイシー「二人の天才の素顔」

フォトグラファー長尾迪さんは、30年のキャリアを誇る格闘技カメラマンの第一人者だ。
そのキャリアを通して、時代ごとに格闘技界をリードした多くのスター選手たちとも親交を深めてきた。

そして、その中でも被写体としてだけでなく、人として多くの影響を受けた、特に印象深い二人の格闘家がいるという。

一人は、400戦無敗の男として知られる総合格闘家ヒクソン・グレイシー。
長尾さんと同年代のヒクソンからは、かつてカメラマン人生の方向性を決定する、忘れられない言葉を掛けてもらった。

もう一人は、キックボクサーとして活躍する神童・那須川天心。
親子ほど年の離れた彼とは、友人同士のような付き合いがあり、プライベートで釣りに行くほどの仲なのだそうだ。

近ごろ上梓した写真集『那須川天心 ALL OR NOTHING』(小学館)では、そんな関係性の深い長尾さんだからこそ捉えられた素顔の天心を窺い知ることができる。

格闘技界のレジェンドファイターと、6月19日にキックボクシング最後の試合を闘う神童――。
長尾さんに、二人とのエピソードを語ってもらった。

■ 格闘家、ヒクソン・グレイシーから言われた驚きの言葉

 長尾さんが初めてヒクソンの戦いぶりをレンズに収めたのは、彼の日本リングデビューとなった1994年のバーリ・トゥード・ジャパン・オープンでのこと。以降、試合撮影はもちろん、インタビュー取材などの撮影も担当。被写体としてヒクソン選手を追い続け、当時ロサンゼルスにあったヒクソンの自宅や、リオ・デ・ジャネイロの道場へも何度も足を運んでいる。

 長尾さんは、世界で最も多くヒクソンの写真を撮ってきたカメラマンの一人と言っていいだろう。

 昨年、米国で発刊されたヒクソンの自伝『BREATH』は世界の格闘技ファンに好評を博し、今年に入り日本でも翻訳版が出版された。同書では、世界の巨匠ブルース・ウェバー、ブラジル人カメラマンのマルコス・プラド、それに長尾さんの3人のカメラマンの写真が採用されており、本家米国版では長尾さんの写真が表紙を飾っている。

「書籍のあとがきに『親愛なる写真家のブルース・ウェバー、ススム・ナガオ、……』と書いてくれていて、世界的なカメラマンと並び評されていたのは、素直に嬉しかったですね。しかも、自分の写真が表紙に採用されたわけですから、本当に光栄な話だと思います」

 30年間、格闘技を撮り続け、業界のトップランナーとなって久しい長尾さんだが、過去に一度だけ、「格闘技を主要テーマにし続けてよいのか?」と悩んだ時期があるという。

 日本における格闘技人気は、1993年のK―1創設と共に飛躍的に上昇。2003年大晦日には、地上波3局で格闘技イベントの中継が行われるほどのブームが起きていた。ところが、07年のPRIDE消滅以降、人気は徐々に低迷。2010年代には、地上波で放映される機会もほとんどなくなった。長尾さんが方向性に悩んでいたのは、そんな時期だった。

「年齢的な理由もあって、第1試合からメインイベントまで通して撮り続けるのがきつくなってきたんです。反射神経も落ちたし、集中力も続かない。そろそろ体力的に限界かな……と。それに格闘技の人気が低迷して、作品を発表できる場も減ってしまった。ちょうど自分でスタジオを開設した時期でもあり、『自分は格闘技の業界にどんな貢献をできているんだろう?』『このまま格闘技をメインに撮り続けていいのか?』と、自分の方向性に悩んでいました」

 そんな長尾さんに手を差し伸べたのがヒクソンだった。

「2014年の年末のイベントで、ヒクソンの息子のクロンがプロデビュー戦を迎えたんです。その計量会場でセコンドできていたヒクソンと会ったんですが、いきなり『ちょっと、話がある』と部屋の隅に連れていかれて、『いまから言うことを聞いてくれ、残念ながら私は現役を引退した。明日からはクロンの時代になる。ただ彼がトップに行くのには少なくとも数年はかかるだろう。長尾には、それまでリングサイドで撮影してほしい』と言われました。ドキッとしましたよ」

 方向性に悩んでいた長尾さんにとって、その答えを導き出してくれたのは、ヒクソンからの言葉だった。

「相談もしていないのに、なぜヒクソンがそろそろ格闘技を撮ることを辞めようと考えているのが分かったのか……。それは僕にも分かりませんけど、続けて『世界中には才能溢れる若いファイターがたくさんいる。彼らの勇姿をお前が撮らなくて誰が撮るんだ。お前は生涯リングサイドで撮影しなければならない』と言われて、目の前がパッと明るく開けた感じがしました。自分を必要としてくれる人がいるんだ。これは、生涯現役でやらなければいけないな。そう誓ったわけです」

■ 神童・那須川天心との運命の出会い

格闘技カメラマン・長尾迪が語る、那須川天心とヒクソン・グレイシー「二人の天才の素顔」
2021.02.28 RISE ELDORADO 2021 横浜アリーナ 志朗戦(写真集『那須川天心 ALL OR NOTHING』)
 長尾さんが「生涯現役」を誓った2014年。一人の天才キックボクサーがプロデビューした。それが、長尾さんがカメラマン人生で影響を受けたもう一人の格闘家、神童・那須川天心だ。

「天心君はとにかく、カリスマ性があって華があります。入場シーンの雰囲気。リング上での佇まい。アマチュア時代にプロのリングでやったエキシビションマッチから撮影し続けていますが、もう最初から別格でした。そういう格闘家としてのポテンシャルで見れば、僕の中で天心君とヒクソンは同格なんです」

 那須川天心とはどんな格闘家なのか。具体的にキックボクサーとしての凄さはどこにあるのだろうか。

「一言でいえば、『天才が努力したら、こういう強い選手になるんだな』と分からせてくれた選手。例えば、一時代を築いた魔裟斗選手は、努力の格闘家でした。身体能力的な素質では、同年代に魔裟斗選手よりも優れたファイターは何人かいたけれど、そこを圧倒的な練習量で頂点まで上り詰めた。天心君の場合は、フィジカル的に飛び抜けていながら、魔裟斗選手のような努力もするわけです。それは誰も勝てないよな……と思わされますね」

 天心選手と長尾さんは、親子以上に年が離れているが「親子というより、友人関係に近い」付き合いをしているという。

「二人とも釣りが趣味なので、スケジュールが合ったときに船で沖釣りを楽しんだりしています。個人的に彼の人間性で一番好きなのは、礼儀正しいところ。試合会場で僕のことを見つけてくれたら、いつも挨拶に来てくれます。どんなに強くなって実績を積んでも、それは変わりません。そういう姿勢は自分でも見習いたいと思いますね」

 長尾さんはデビュー前から天心選手の戦いぶりをリングサイドから撮り続けてきた。その中で長尾さん自身が「会心の撮影ができた」と振り返るのが、堀口恭司選手との一戦(2018年9月、RIZIN.13)だ。このときの作品は、発刊中の写真集『那須川天心 ALL OR NOTHING』(小学館)にも掲載されている。

「二人とも思い入れのある選手同士の試合でした。撮影しながら集中力が増してくると、自分がその選手に乗り移ったような感覚になるんです。だから、選手の呼吸が分かって、どのタイミングで技が出るか予測できる。あの試合では、天心君に乗り移った感覚が研ぎ澄まされていました。自分でも完璧に撮れたと思います。そんな経験はなかなかないので、天心君と堀口選手には感謝したいですね。天心君とは親子以上に年が離れていますし、高校の卒業式にも撮影に行きましたけど、僕の中に親が子を見守る感覚はありません。先ほども言ったように友人関係に近いというか……共に成長してきた関係でしょうね。一緒に時代を歩んできたと思っています」

 天心は、『THE MATCH 2022』の武尊戦を最後にキックボクシングの世界からプロボクサーへ転向。長尾さんにも一つの転機が訪れた。

「格闘技とボクシングの撮影は、また別物ですからね。天心君を撮影するのはこれで一区切りかも。彼のような格闘家をデビュー前から撮り続け、写真集(『那須川天心 ALL OR NOTHING』)の形でまとめられたのは光栄に思います。ヒクソンと『生涯現役』を約束していますし、今は次のスター選手の出現を待ちたいです。そういう意味では、ヒクソンの言葉がなければ、天心君を追い続けることがなかったかもしれないので、さらに感謝しなくてはいけませんね。天心VS堀口戦のような、心を震わせながら撮影する経験をまたしたいです」

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☘️ヤフコメ❗️ピックアップ☘️

✅ 武尊に同情票が多いじゃ無いですか!俺はこう武尊に考えて欲しい…天心戦引っ張ってラッキーだったと!!だって五輪の柔道なんかでよくあるこいつさえ同世代で無ければ世界一だったのにて五輪の夢さえ叶わない選手よりある意味幸せと思うんよね。
✅ 石川遼を『天才!天才!』と囃し立て、当時は全盛期だったタイガー・ウッズに『石川遼をどう思いますか?』とか質問して苦笑いされてたのを思い出しました。笑

天心選手には頑張って欲しいですが…なんでヒクソンと比べる?

あっ!サッカーのワールドカップで本田や香川のヨーロッパで活躍してる選手が数名いるだけで『ワールドカップ優勝候補』とか騒ぎながら決勝リーグに進出できなかった事も思い出した。

日本のマスコミって…恥ずかしいわ。
✅ ヒクソンは80年代から90年代初のブラジリアン柔術界で凄かった人と認識している。
桜庭とやるやらないとか言ってた時は40代、当時の世界のトップクラスと戦ったわけでなく、いい加減「最強」とか「無敗」の線で語るのはやめたらどうか。

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