【記事詳細】Number
✍️記事要約
平成の怪物・松坂大輔がついにプロ野球人生の幕を閉じた。甲子園の伝説と衝撃のプロデビュー、WBCでの2大会連続MVPなど輝かしい記録と記憶を残した一方で、野球人生の後半は度重なる手術や怪我で満身創痍の中、「ボロボロになるまで」投げ続けた。
Number1039号『松坂大輔 平成の怪物のすべて』では、引退試合直後の本人インタビューを掲載した。引退にいたるまでの決断の経緯や理想のストレート、最後までワインドアップにこだわった理由――栄光と苦難の道を歩んだ時代の寵児がその胸中を明かしている。
インタビューの中で「これまでかなわないと思った相手はいるか?」と聞いてみた。
というのも、松坂大輔について証言した歴戦の強打者やライバルとなるエースたちは、勝敗を超えて、松坂大輔という存在に敬意を表し、ときに「絶対に勝てないと思った」と負けを認めていたからだ。
はたして、松坂はしばらく考え込んだ後でこう答えた。
「いるかな? いや、いなかったですね。単純に僕より速いボールを投げる人や尊敬している人、すごい人はいましたけど、かなわないと思ったことはない。かなわないという感情イコール負けを認めたことになりますからね」
“ピッチャー松坂”が“バッター大谷”と対戦していたら…
そんな松坂にとっても、大谷翔平という存在は“別格”のようだ。平成の怪物の眼には、どのように映っているのか。
「とんでもない化け物です。次元が違う。僕も投げないときにDHで試合に出してもらえていたらバッターのほうも一生懸命に練習したかもしれませんけど、でも彼に関してはレベルが違います。他のピッチャーのことをそんなふうに思ったことはないんですけど、彼はピッチャーとしてもバッターとしても、ということですからね。今は彼以上の存在はいないでしょう。あれだけのまっすぐと変化球を投げて、あれだけ遠くへ飛ばして……」
では、“ピッチャー松坂”として“バッター大谷”と対戦していたら……。
「今の状態でどうやって抑えようかと考えたこともありますし、身体が元気だったらどう攻めたかなとも考えました。たぶん、ストレートで勝負して、それをカーンといかれて、監督に怒られるんでしょうね。ストレートしか待ってないバッターにストレートを投げてどうするんだって(笑)。でも、そういうわかりやすい力と力の勝負を、もう一度、やってみたかった。それはもう、だいぶ前からできなくなっていましたから」
全盛期の松坂と大谷の対決――見てみたかったのは我々だけではないだろう。
◇ ◇ ◇
Number1039号掲載の松坂大輔ロングインタビュー「ボロボロになるまで投げられた。僕は幸せものです」では、甲子園の快投からプロ衝撃デビュー、メジャー挑戦と引退にいたるまでを本人がたっぷりと語っています。さらに、東尾修、桑田真澄からのメッセージや片岡篤史、黒木知宏、上原浩治、松中信彦、ローズ、清原和博、斉藤和巳といったライバルたちの証言など、平成の怪物のすべてを語り尽くしています。
◇ ◇ ◇
☑️Wikipedia【松坂大輔】