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野球の「大物」次々輩出 なぜ岩手[2022.5.10]

野球の「大物」次々輩出 なぜ岩手

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✍️記事要約

✅ 「なぜ岩手から?」雄星、大谷、朗希、麟太郎…大物次々誕生の理由「1世代遅い」“ルネサンス”

ロッテ佐々木朗希投手(20)は日本で、エンゼルス大谷翔平投手(27)は米国で、世界の野球ファンをわかせる活躍が続く。ブルージェイズ菊池雄星投手(30)やすでに高校通算60発超の花巻東・佐々木麟太郎内野手(2年)も含め、いずれも岩手県出身だ。この十数年間で野球の大物が次々に登場し「なぜ岩手から?」の注目が増す。岩手の近代史に詳しい新渡戸基金・藤井茂理事長(72)らの証言を元に、海外からも注目される謎に「潜入」する。

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藤井氏は「岩手は人物が出るのが遅いです。ちょうど1世代分」と証言し、主に2つの理由を挙げる。

<1>気候的問題 同氏は江戸時代の旅行家の作品を挙げた。「江戸から北上し、秋田ではのどかな農村が描かれる。それが青森で折り返すと、岩手では人が倒れている描写があります」。三陸沿岸からの冷たい季節風「やませ」が内陸の凶作にも影響し「当時は食べていくのに一生懸命な土地だったようですね」。

<2>政治的問題 今の岩手広域にあたる南部藩は戊辰戦争で敗れ、明治政府の中枢に入れなかった。「南部の連中は外交官、軍人、新聞記者、教育者…の方向へ進みました。貧しい出自の人は学費がゼロのところへ。明治や大正の第1世代は、スポーツや芸術の世界に進めなかったんです。食べていくために」。

<1><2>を背景とした環境から、先人の努力や反骨心があって今の輝きがある。藤井氏の言う1世代分とは「30年くらいですかね」。30年前の岩手県はどんな時世だったか。昭和後期に大きな出来事があった。

82年(昭57)に東北新幹線が大宮-盛岡間で開通。「日本のチベット」とも呼ばれた岩手から首都圏へのアクセスが劇的に改善し、人やモノ、文化の往来が活発になり始めた。四国に匹敵するほど広い県域の交通網も発達。大物たちの親世代が少年少女あるいは思春期かといった頃が、ちょうど新幹線開通で岩手が勢いづいた10年後…今から30年前の時代にあたる。

昭和から平成へ。子どもがスポーツに打ち込める環境もどんどん整う。指導者や指導法の世代交代も複合的に作用。花巻東・佐々木洋監督(46)らは象徴的存在になる。佐々木朗を高校で指導した国保陽平氏(35)もアメリカの独立リーグでプレーし、支援学級での講師経験もある。他地域との交流試合は学童野球でも活発に。県内野球界のアップデートは、多くの関係者が証言するところだ。

そんな時代に登場した大谷や佐々木朗には「早寝効果」なども推測されるが、それ以上に個々の努力も大きいところ。ただ、大物の相次ぐ輩出は岩手県の土壌でもあるようだ。藤井氏は「奥ゆかしい藩民性、県民性です」と言い、岩手出身の人物の気質が表現された言葉を2つ挙げた。

「沈深牛の如し。至誠沈勇の人。2つとも『沈』が入っていますよね。どっしりとして、動かざるということ。大谷翔平さんもどっしりしていますよね」。

隣県の青森では、ねぶた祭で初対面の男女が一緒に“はねる”(=踊る)こともある。「岩手はそこは違う。じわりじわり、ゆっくり仲良くなって」。コロナ禍でも最後に陽性者が確認された県だった。「全体的に派手なのが苦手で、飛び抜けた頑張りと忍耐強さがある。そこは信頼されるし、その中でずぬけた人物は一気に世に出るんです」。

「なぜ岩手から?」は初めての事象ではない。明治初頭、原敬や新渡戸稲造らがこぞって上京し、大正で日本の中枢に上り詰めた。その1世代後、明治30年代に石川啄木、金田一京助ら盛岡中学OBが続々と名を上げ“盛岡中ルネサンス”と呼ばれた。

「その10年後には宮沢賢治も出た。岩手はいったん出ると一気に出る。我々でも大丈夫だ、と。出るまではモジモジだけど」

歴史は繰り返す。雄星、大谷、朗希、麟太郎-。21世紀のルネサンスは、まだ続きそうだ。【金子真仁】

○…平均身長が全国平均以下の岩手県で、佐々木朗や大谷らは高身長だ。要因の1つに「早寝」が推測され、佐々木朗も認めるところ。00年代に県内教育界やスポーツ界に「22時と23時半に成長ホルモンが多く出る」とうわさが広がった。子どもの背を伸ばすなら21時には就寝を-。佐々木朗の母陽子さんがこれを実行に移し、狙い通りになった。寝具の老舗・西川株式会社は「早寝だと成長ホルモンが抑制されにくくなると考えられます」と見解を示す。また、大谷は同社と睡眠コンディショニングサポート契約を結んでおり、良質な睡眠を心がけている。

◆菊池雄星と佐々木麟太郎の今 

菊池雄星 3月にマリナーズからブルージェイズに移籍。今季5戦目の登板となった4日(日本時間5日)ヤンキース戦で新天地初勝利を挙げた。11連勝中だったヤ軍を6回3安打1失点に抑える好投だった。

佐々木麟太郎 昨年12月に両肩の胸郭出口症候群の手術を受けた影響で、今春センバツでは無安打。チームも1回戦で敗退した。高校通算本塁打は清原和博(PL学園)に並ぶ64本(5月7日時点、公式戦12本、練習試合52本)。

◆沈深牛の如し 明治時代の詩人・高村光太郎が自身の作品「岩手の人」の中で「沈深牛の如し」と表現。ゆっくり、慌てずに目標を達成するという意味。

◆至誠沈勇の人 盛岡出身の第37代内閣総理大臣・米内光政の銅像の石碑に、当時の慶応義塾長・小泉信三が寄せた言葉。「体格は偉大、声は静かで太い」が第一印象だったという。

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☘️ヤフコメ❗️ピックアップ☘️

✅ 大谷選手は成長期にレントゲンを撮って骨の成長点を確認していたといいます。成長途上で過剰な筋力トレーニングをすると背が伸びるのを邪魔します。学校の方針もあって高校生の間も背が伸び続けている大谷選手にはあまり筋トレをさせなかったとのこと。佐々木朗希選手がいた大船渡高の監督も選手の安全面を考慮して県大会決勝に登板させなかったことが議論になりました。二人の指導者に共通するのは選手ファーストの考え方、高校野球が野球人生のピークではないと考えているところでしょうか。科学的根拠もなくやみ雲に筋トレをやらせている指導者の元ではこういった選手は現れないでしょう。
✅ 良い指導者が出たということが、一番大きいと思います。
一世代遅いとかなんか意味があるんでしょうか?歴史も特に関係あるとも思えません。
大谷、菊池を出した花巻東は有名高校になっても地元中心というところにすばらしさがあると思います。
私立高校の全国から寄せ集めた高校が東北の野球学校には多いですが、花巻東は地元選手を育てた意味は大きい。
今プロで活躍中の佐々木朗希秋田の金足農業の吉田なども地元から出たわけで、こういった事を考えて、地元選手で強く出来るという考えになって欲しい。
全国から集めて何がその都道府県代表なんだと思う。
✅ 私も岩手県出身のリトルリーグ指導者で、雄星世代を指導していました。この頃から他県のチームとの交流会盛んになり、関東圏の強豪チームと対戦して勝つ事もあり自信をつけた子供たちが多勢いたことが大きい。
 中学軟式野球で岩手県の福岡中学が全国制覇して身近に全国で勝てるチームが出た。雄星もリトルシニアの全国大会で優勝チームと1対0で負けはしたが全国レベルの野球をしてると確信しただろう。他のチームの選手、指導者も自信を深めてチーム力の底上げとなった。雄星世代の力のある選手が花巻東に集まり、甲子園選抜大会の準優勝に繋がっていく。そこからが、大谷翔平、佐々木朗希へ繋がる。三人に共通しているのは、頭が良く、素直な性格だということだ。身体的に優れているのはもちろんだが、スキルアップには優れた理解力と弛まぬ努力が必要だが、彼らは皆持っている。岩手県は、イーハトーブと呼ばれる人材輩出県なのだ。

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