天心と武尊はなぜ、最高の舞台で「死ぬ覚悟」だったのか
✍️記事要約
2人に“明日”はなかった。文字通り、命をかけていた。
6月19日、東京ドームで開催されたキックボクシングイベント『THE MATCH 2022』。そのメインイベントは那須川天心vs.武尊の“世紀の一戦”だった。いや、大会のメインイベントが那須川vs.武尊だったというより、そもそも大会自体がこの試合を行なうためのものだった。
那須川はRISEとRIZINで活躍してきた。MMA、ミックスルール含め公式戦無敗。キックボクシングルールでは41戦全勝である。対する武尊はK-1で3階級を制覇。41戦のうち、負けは新人時代の1つだけだ。
■ 入場料収入は20億円超…記録的な一戦に
先に対戦をアピールしたのは那須川。武尊は「逃げるな」といった批判、誹謗中傷も受けながら実現への道を探った。多くの関係者に会い、2020年の大晦日にはRIZINの会場に公式に赴き那須川の試合を観戦。この行動から、対戦が具体性を帯びてきた。
RISEとK-1の間を榊原信行氏(ドリームファクトリーワールドワイド社長。RIZINのCEOでもある)が取り持つ形で実行委員会が組織され『THE MATCH』が開催。チケットは即完売、5万6399人の観客が詰めかけた。入場料収入は20億円に達したという。ABEMAでのPPV中継も記録的な購入件数となったようだ。那須川と武尊が闘ってどちらかが勝ち、どちらかが負けるというのはそれだけの一大事だった。
もちろん、本人たちにとっては勝負の重さは数字で測れるものではなかった。大会前日の記者会見で、武尊はこう語っている。
「試合は命の取り合いだと思ってるので。負けたら死ぬのと一緒。試合後のことは何も考えてないです。明日、勝つことだけ考えてます」
■ 「負けたら死のうと思ってたんですよ」
彼は打ち合いに滅法強い。相手の攻撃を被弾することもあるが、構わず前に出て殴る。打ち合いながら「死んでもいい」と感じることもあるという。曰く「殺される覚悟があるから殺しにいける」。毎試合、負けたら引退すると心に決めてリングに上がってきた。悲壮なまでの決意をもって武尊は勝ち続け、那須川戦を実現させた。
那須川も、前日会見でこう言っていた。
「明日は僕の最後の試合、人生最後の日です。やってやります」
昨年の段階で、那須川はボクシング転向を表明している。今回はキックボクシングのラストマッチ。だから「最後の試合」なのだろうと思われた。しかし「人生最後の日」とはどういうことか。明かしたのは試合後だ。
「負けたら死のうと思ってたんですよ。“これが遺書です”って動画も撮っていて。人生終わると思ってたので。よかったです、明日も生きられる」
■ ダウンを奪った“会心の左フック”
そう、“生き残った”のは那須川だった。3分3ラウンド、この試合のみ特例の5ジャッジ制で判定5-0。彼は死を賭してなお“死に物狂い”ではなく、冷静沈着に試合を進めた。
サウスポーの構えから右のジャブを軸に攻撃を組み立てる。そうして武尊の生命線である“前進”を簡単には許さない。相手側セコンドの「ジャブは捨てろ」というアドバイスも聞こえていた。ジャブをもらうのは仕方ないから、それでも攻めろという意味だろう。それなら、と那須川は「踏み込んでジャブを打ちました」。軽く牽制するのではなく、もらってくれるんだから思い切り打ち込んでやれというわけだ。
1ラウンドにはカウンターの左フックでダウンを奪った。試合前、最後に確認した攻撃だったという。
「コンパクトに、刀で斬るようなパンチ。会心でした」
相手の動きがよく見えていたから出すことができた。2ラウンド、バッティングで右目の視界がボヤけたが「偶然なので仕方ない」と言う。相手を責めて攻撃に“怒り”が混ざってはいけない。怒ったら怒っただけ動きが粗くなる。その落ち着きは最終3ラウンドまで続いた。
■ 常人には計り知れない狂気の領域で…
逆転を期す武尊は強引に前に出て拳を振るう。笑顔を見せる場面もあった。これはずっと前からのトレードマークだ。打ち合って、相手の攻撃を食らって、試合が激しくなればなるほど、「命のやり取り」にのめり込むほど楽しくなる。楽しくて笑ってしまう。武尊は窮地に陥っても武尊だった。拳にさらに力がこもる。最後まで「これが当たったら天心も危ない」と思わせるだけの気迫は、ドームのスタンド最後列にまで届いていたはずだ。
その気迫を、那須川は正面から受け止めた。「プレッシャー(圧力)はこれまで闘った選手の中でも一番だったんじゃないですかね」と言うほどだったが、それでもほとんどのパンチを見切っていた。武尊が笑いながら攻撃をしてくることも想定内だ。
「笑ったらこのパンチがくる、笑った後にはこう動くっていうのも研究してました」
死ぬ覚悟を持ちながら笑って相手の懐に飛び込む。それが武尊だ。常人には計り知れない狂気の領域としか言いようがない。一方、那須川は負けたら死ぬのだと思い詰めて上がったリングで、どこまでも冷静だった。その落ち着きもまた常人ならざるレベル。負けたら死ぬ。なのにまったく力みがないのだ。あるいはそれは“狂気の域に達した冷静さ”かもしれない。
■ 試合後に那須川が号泣した理由
実際、普通の感情ではなかった。3ラウンドを終え、ジャッジの採点が読み上げられ始めたところで那須川は泣き出した。勝利が確定した瞬間には号泣。しかしその時のことをあまり覚えていないという。インタビュースペースでの第一声はこうだ。
「解放されました。すべて終わったなという感じです」
今後のこと、ボクシングのことについては「1回休んでから」考えるという。しばらく休みたい、格闘技のことは考えたくない。武尊戦が決まってからはボクシング専門の練習はしなくなった。先々のことではなく武尊に勝つことだけを考えてきた。そうしなければ勝てないと思ったからだ。
「好きになったり振られたり」、恋人のように想い続けてきた武尊との一期一会は特別な上にも特別な時間だった。試合後、リング上でお互い泣きながらかわした会話の内容は「内緒」だという。
これまで41回勝っても、自分が最強だとは思えなかった。このところは試合をしてもワクワクすることがなかった。受けて立つ試合、勝って当たり前と思われてしまう試合ばかりだったからだ。そういう中で武尊戦が決まった。
「ずっと寂しかった。でもやっとここで出会えた」
この人に勝てば、本当に強いと認めてもらえる。命を捨てても惜しくないと思える相手だった。
「相手の印象? ずっと変わらないです。気持ちの入ったファイター。マジで出会えてよかった。感謝しかないです」
■ 武尊が背負い続けた重圧
敗れた武尊も、那須川への感謝を口にした。
「この試合を実現できたこと、動いてくれた人たち、支えてくれた人たち、天心選手に心から感謝してます」
絞り出すような声だった。受けて立つ試合が続いていたのは武尊も同じだった。モチベーションは上がりにくい。しかし負ければすべてを失う。そんな中でK-1を背負い、引っ張り続けることができたのは那須川天心がいたからだ。あの男とやるまでは負けられない。その思いが武尊の支えだった。「これまで生きてきた時間が全部出る」とも語っていた。そういう試合が今夜、終わってしまった。彼は負けた。
「僕を信じてついてきてくれたファンの人、K-1ファイター、チームのみんなには心から申し訳ないと思っています……」
そこまでコメントするのが限界だった。付き添ったK-1のスタッフがコメント終了を告げる。取材陣との質疑応答はなし。それも仕方ないと思える状態だった。
■ 客観的に見ればパーフェクトゲームだが…
ただ言えるのは、那須川天心が那須川天心らしく勝ったように、敗れた武尊も武尊らしかったということだ。どちらも自分が信じた闘い方を貫いた。命をかけるというその決意まで同じで、しかしまったくスタイルの違うファイトを見せ、その結果として那須川が勝った。
試合内容だけを客観的に見れば、那須川のパーフェクトゲームだ。しかし両者の涙を見て、言葉を聞いて、この試合に“客観”などどれほどの意味があるのかと思う。
蛇足を承知で書いておきたい。武尊という稀代のハードヒッターが成し遂げてきたこと、その価値はこの敗戦でもなんら損なわれはしない。
胸を張れ、とは今は言えない。だが那須川の完璧なまでの試合運び、怜悧な殺傷能力は武尊への想いが引き出したものだ。那須川天心は強かった。相手が武尊だからこそ、武尊でも勝てないくらいに強かったのだ。