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「オレよりすごい奴がおった」清原和博が父に伝えた衝撃[2022.8.7]

「オレよりすごい奴がおった」清原和博が父に伝えた衝撃

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✍️記事要約

✅ 「オレよりすごい奴がおった」清原和博が父に伝えた衝撃。「真澄はショックだったみたいです」一方の桑田も…《KKのPL学園秘話》

 甲子園で史上最多の通算13本塁打を放った清原和博と、同じく最多の通算20勝をあげた桑田真澄。高校野球史上最強のチームといわれたPL学園の投打で活躍したふたりの逸材は入学直前に出会い、お互いに刺激を受けていた――。

翌1983年の3月、井元は数人の中学生たちを鹿児島の指宿へ連れていった。その春にPL学園野球部に入ってくる精鋭を集めて合宿させた。その中には清原と桑田もいた。

まだ入学前の生徒に合宿をさせるのは、いくら全国的な強豪として知られるPL学園といえども初めてのことだった。厳密に言えば認められていないのかもしれなかった。だが、井元は彼らを引き合わせておきたかった。これから始まる特殊な学園生活について教えておくためでもあった。井元があらん限りの人脈をつかって集めた31期生たちはこれから野球部の黄金期を築くはずだった。それだけに彼らの、とりわけ清原と桑田の扱いには細心の注意を払っておきたかった。

 井元がそこまでして才能をかき集めたのには理由があった。御木徳近が病に臥していたのだ。日に日に衰えていく教主を前にして、井元は悲願を成就させなければという思いに駆られていた。創部から28年、井元が創ったPL学園野球部は甲子園で春2回、夏1回の優勝を果たしていたものの、まだ全国の覇を握ったとは言えなかった。その春も甲子園の主役は「やまびこ打線」と呼ばれる徳島の池田高校だった。

 井元は徳近の枕元に1983年度の新入生リストを届けた。清原と桑田を筆頭に中学で名を知られた球児たちがずらりと並んでいた。それを見ると教主は満足そうに頷いた。

そして1983年が明けてまもない2月2日、息を引き取った。ほとんど身寄りのない自分を引き取り、教団の子として育て、大学まで出してくれた。そんな教主に報いるためには野球で勝つこと、教団の名前を知らしめるような人材を生み出すことしかなかった。

■ 誰よりも存在感を示した14歳の少年

 井元は指宿の球場で少年たちを見つめた。彼らは徳近の遺言とも言える選手たちだった。その中にひときわ小さな選手がいた。4月1日生まれの桑田だった。彼は15歳の少年たちの中でひとりだけまだ14歳だった。だがボールを握ると、他の誰よりも存在感を示した。

 合宿初日のことだった。休憩時間に選手たちがホームベース付近から外野ポールをめがけて遠投を始めた。誰が最初に命中させるかというゲームだった。90メートル以上も先にある的には、当てることはおろか届かせることさえ難しかった。やがて桑田の番になった。桑田はかつて井元が見たのと同様にすぐそこへ投げるかのようなフォームで低い球を投げた。山なりのボールを放っていた他の選手たちとは明らかに異なっていた。すると白球はその低い弾道のままライトポールに当たって甲高い音を立てた。いずれも腕に覚えのある31期生たちは啞然としていた。その中には清原もいた。

 一方でバッティングになると清原が周りの視線を独占した。南国の空に打ち上がった彼の打球は誰よりも遠くまで放物線を描いた。今度は桑田がそれをじっと見つめていた。井元は確信した。

■和博のやつ、おれよりすごい奴がおったって…

 勝てる。これで勝たなければ噓だ。

 鹿児島での合宿を終えて大阪へ戻ると、井元のもとへ清原の父親から連絡があった。

「和博のやつ、おれよりすごい奴がおったって落ち込んでるみたいなんですよ」

 続いて桑田の父からも電話があった。

「真澄はショックだったみたいです。帰ってくるなり、自分よりすごい奴がいたと言ってまして……」

 井元の狙い通りだった。清原と桑田。二つの才能は刺激し合ってさらに大きくなる。それを中心に31期生が絆をつくり、PL学園は高校野球史上最強のチームになる――。

 結果的に井元の思惑は現実のものになった。清原と桑田は1年生の夏から四番とエースになり、史上最強と言われた池田高校から主役の座を奪った。それからすべての甲子園大会に出場し、2人はKKコンビと呼ばれる甲子園のスターとなった。そして3年生の最後の夏には集大成となる全国制覇を成し遂げた。校歌を歌い上げた2人は涙とともに抱き合った。カメラの前でお互いの手を握り合った。その様子は全国ニュースで流され、写真は新聞紙面を飾った。

 1985年の夏、井元が描いた通り、2人は高校野球の頂点に立つPL学園の象徴となった。最終的にその盟友関係が割れ、生涯引きずっていくような因縁が生まれることなど、その時点では誰も想像すらしていなかった。

1985年11月20日の朝、滝口隆司は薄闇のなかに目覚めた。その日はプロ野球ドラフト会議が行われることになっていた。

 今日もいくんかな……。

 滝口の頭に浮かんだのは同部屋の桑田真澄のことだった。PL学園野球部の「研志寮」は一室ごとに各4人が寝起きしている。お互いの息遣いまで聞こえる空間で誰かが闇の中を動けば気配はわかるはずだった。

すでに3年生はすべての大会を終えていた。それぞれの進路に向けて各自が動き出していた。そんな日々の中、桑田は寮からの登下校の途中に「奥津城」と呼ばれる初代教主の墓へ向かっていた。まれに未明の時刻に布団を抜け出していくこともあった。墳墓に向かって祈りを捧げている彼の姿を滝口は何度か目にしたことがあった。じっと目を閉じる表情からは強い願望を胸に秘めていることをうかがわせた。

 野球部員にとって祈りは身近なものだった。特待生として集められた精鋭たちも入学すれば教団の教義に従って生活することになる。毎朝、広間に集まって部員全員で「朝参り」の儀式を行う。試合で打席に入る際には胸の御守りを握ってPL教の神様に祈る。勝たせてくださいと祈るのではなく、練習の成果を発揮させてくださいと唱えるのが彼らの特徴だった。見えない何かを信じることはPL野球部の強さの一つだった。甲子園優勝をめざして戦う中で、チーム内の競争に勝ってメンバーに入れますように、大舞台で力を出せますようにと、誰もが気まぐれな白球の行方を祈りに託した。奥津城へ祈りを捧げていたのは決して桑田ひとりではなかった。

■「桑田は何を祈ってるんやろ…」という疑問

 だが、桑田が特異だったのは秋になっても祈り続けていたことだ。3年夏の甲子園で優勝を果たし、すべての公式戦が終わった後でも奥津城へ通うことをやめなかった。つまり、彼はグラウンドの勝敗以外の何かに向けて祈っている――そうとしか考えられなかった。

寮の部屋のメンバーは年に何度か入れ替わるため、桑田がどれくらいその行動を続けているのか滝口には分からなかったが、少なくとも同室になってから何度かその光景を目撃していた。

桑田は何を祈ってるんやろ……。

 それは滝口だけではなく、部員の誰もが心の片隅に抱えていた疑問だった。だが本当の理由は誰も知らなかった。

 野球部31期生たちは入学以来、毎日朝から晩まで顔を合わせてきた。年に一度の帰省以外は寮で暮らし、学校生活も同じクラスで送ってきた。お互いにほとんど知らぬことなどなく、言葉にせずとも胸の内はわかった。

だが、桑田だけは例外だった。3年間をともにしてきたメンバーでも立ち入れない領域があった。エースピッチャーにしては物静かで、輪の中心に自ら進み出ることもなかった。ひっそりと自分だけの内面世界を守っているようなミステリアスな雰囲気を持っていた。

■ 「でもな、おれは1位で巨人にいくんや」

 一方でもうひとりの中心人物である清原は朗らかに内面を開放していた。とくにこの夏の終わりから秋にかけて、彼はクラスの主役だった。

「昨日は実家に阪神のスカウトが来てたわ。その前は南海と近鉄も来てたらしいわ」

1年生の夏から5度の甲子園大会に出場し、歴代最多13本のホームランを放った清原はプロ球団がこぞって獲得を狙う存在になっていた。ドラフト会議が近づくにつれて、彼の周囲はプロのスカウトたちの往来で騒がしくなっていた。当の清原はその内幕を開けっ広げに、ユーモアを交えて仲間たちに話して聞かせた。そのため、休み時間も放課後も、清原のまわりには同級生たちの人だかりができていた。

「でもな、おれは1位で巨人にいくんや」

 清原は言った。もし抽選になって巨人が外れてしまったらどうするのか?

 誰かが問うと屈託なく笑った。

「セ・リーグ以外の球団なら社会人にいくわ。まあでも、おれは巨人にいくんや!」

 夏の陽射しがよく似合う向日葵のような男は、自分が憧れの読売ジャイアンツに入団することを疑っていないようだった。制度上、複数球団の指名が競合した場合には、選手との入団交渉権を巡って抽選となる。だから清原の願いはあくまで他者の力に委ねられているわけだが、まるで、そんなことなど頭にないかのように一途な熱を振りまいていた。

 本来であれば桑田の周囲も清原と同等か、それ以上に騒がしくなってもおかしくはなかった。1年生の夏からPLのエースとなり、甲子園史上最多の通算20勝をあげた。どの球団も欲しい逸材であることは間違いなかった。

 ただ桑田は最後の夏が終わると早々と早稲田大学進学の希望を表明した。それによってドラフトの指名ができないわけではなかったが、本人があえて強い意志を示したことで、プロ側は強行指名しても入団を拒否されるリスクを抱えることになった。そのためか、新聞紙上に桑田の名前が躍ることは少なくなっていった。

 だが滝口はそんな桑田の心が少しずつ変化しているような気がしていた。秋が深まり、ドラフトが近づくにつれて早稲田への憧れを口にすることが減っていたのだ。そして、そのきっかけには心当たりがあった。

■早稲田進学表明後に桑田が呟いたひと言

 9月終わり、滝口は桑田らチームメイト数人と上京した。それぞれが各大学野球部のセレクションを受けるためだったが、その合間に東京六大学野球の秋季リーグ、早稲田大学対東京大学の試合を観ようと神宮球場を訪れた。

滝口たちはバックネット裏のスタンド上部に陣取った。明るい緑の人工芝グラウンドに早稲田の選手たちが現れた。白地のユニホームにWASEDAという燕脂の刺繡を見ると自然と心が躍った。

 桑田はなおさらだろう。

 滝口は傍に座っているエースの心境を思った。桑田の母方の祖父は同大学の出身であり、母親からは「あなたにも早稲田の卒業生になってほしい」と幼いころから期待をかけられてきたのだという。

ところがその日、桑田の目の前で早稲田は敗れた。東大を相手に一点も奪うことができなかった。白地のユニホームも、緑と青に彩られた球場も、どこか色褪せて見えた。桑田は秋風に吹かれながらグラウンドをじっと見つめていた。

 滝口は俯く早稲田ナインとPL学園のエースとの間にギャップを感じていた。桑田は甲子園で並ぶ者のいない投手だった。大学、社会人は高校よりもレベルが上がるとはいえ、もはやアマチュアで投げるような投手ではないような気がしていた。その違和感が早稲田の惨敗を見たあとではより鮮明になった。

 後日、寮に戻ってから桑田がふと呟いた。

「あれがおれの思っていた早稲田なんかな……」

 それまでとは明らかにトーンが違っていた。

 あの神宮での試合の後、桑田と滝口ら数人は球場に隣接するパーラーで喉を潤すことにした。沈んだ空気のまま、言葉少なにテーブルについていると、そこへ早稲田スポーツ新聞会の学生たちがやってきた。スタンドで桑田の姿を見つけて、追いかけてきたのだという。

 腕章をつけた何人かのうち一人が言った。

「桑田くん、本当に早稲田に入りたいの?」

 桑田は少し戸惑ったような表情を浮かべると、返答の代わりに苦笑いを返した。すると、腕章の学生は本気とも冗談ともつかないような調子でこう続けた。

「悪いことは言わないから、やめておいた方がいいんじゃない?」

滝口の記憶では桑田が早稲田への思いを口にしなくなったのはそれからだった。あの日の一件が桑田を考え込ませているのかもしれない。秋が深まるにつれ、滝口はそう考えるようになっていった。

■KKドラフト当日の水曜日

 ――ドラフト当日は水曜日だった。学園内では普段と変わらない1日が始まろうとしていた。滝口はいつものように寮の食堂で朝食を取り、2キロほど離れた校舎へと向かった。教室は校舎の地下1階にあった。野球部と剣道部とゴルフ部、体育会系男子生徒ばかりの粗野なクラスに入ると、後ろのほうに人だかりができていた。清原が相変わらず仲間たちに囲まれていた。

 一方で桑田はひとり自分の席に座っていた。太陽と月。動と静。清原と桑田は対照的だった。それは31期生たちが入学してからずっと変わらなかった。2人は1年生の夏から四番とエースになった。KとK。2つの才能は同級生たちを導く引力だった。滝口も彼らを見上げながら3年間を駆け抜けてきた。

あれはまだ入学まもないころ、他校と練習試合が組まれたことがあった。滝口はスコアボード係を担当することになった。センター後方にある寮の屋上に上がり、そこに設置されているボードの裏から試合のイニングスコアを操作する。1年生のほとんどはそうした雑用にあてられていた。

 そんな中、清原が試合に出場した。1年生では数少ない抜擢であった。滝口は自分のことではないのに胸が高鳴るのを感じた。ゲームの終盤、清原が代打で打席に入ると自然と手を握りしめていた。

 初めての試合で清原は打った。当時、全国に名を馳せていた沖縄興南高校のエース仲田幸司からツーベースを放った。ボードの裏にいた滝口からは右中間を真っ二つに割る打球が眼下に見えた。ベンチで啞然とする先輩たちの顔が浮かび、誇らしさが込み上げてきた。

 おれたちの世代にはこんな奴がいるんだ……。やがて桑田も試合で投げるようになった。2人は1年生の夏からユニホームをもらった。夏の大阪大会に1年生がメンバー入りするのは、PL学園が強豪校になってからほとんど例のないことだった。

それからはまるで夢を見ているようだった。桑田は甲子園の準決勝で当時の王者だった徳島・池田高校を完封した。清原は横浜商業との決勝戦で先制のホームランを放った。他の1年生とともにアルプススタンドでメガホンを手にしていた滝口は湧き上がるものを抑えられなかった。強面の上級生たちも、全国のどんな強豪校も怖くはなかった。KKコンビと呼ばれるようになった彼らの背中に自分を投影していた。日本一とは未知の場所ではなく、すぐそこにいる2人を追いかけていけば辿り着ける場所なのだと思えた。そういう意味で清原と桑田は31期生の誇りであり、勇気だった。

■ もしかしたら、桑田はプロにいきたいんじゃないのか…

 そして不思議なことに、まったく対照的な性格の2人はグラウンドで戦っている限りは鮮やかに共存していた。マウンドとバッターボックス。それぞれのために用意されたようなポジションがあり、他者が踏み入ることのできない領域で共鳴していた。

 ところがすべてのゲームが終わり、グラウンドから離れると2人のコントラストは浮き彫りになった。日を追うごとに鮮明になり過ぎている気がした。桑田が毎朝何を祈っているのか、滝口は知らなかったが、ドラフトが近づくにつれて胸騒ぎを感じるようになっていた。

桑田が本当にいきたいのは早稲田ではないのかもしれない……。もしかしたら、桑田はプロにいきたいんじゃないのか――。

3時間目の授業は社会科だった。本間俊匠は教室の一番後ろの席にいた。そこから教壇の向こうの壁にある掛け時計を見ていた。いつもなら遅々として進まない重たい時計の針が幾分、軽やかに時を刻んでいるように見えた。

 そろそろだな。

 プロ野球ドラフト会議が始まる時刻が迫っていた。

 本間はクラスを見渡した。3年間、変わり映えのしない顔ぶれだ。何もかもが見慣れた景色のはずだったが、この日ばかりはかつてない空気が漂っていた。その証拠に二つ前の席にいる清原が授業中にもかかわらず起きていた。いつもなら、まるで体力は野球のみに使うと宣言するかのように、机の上に堂々とタオルを広げて眠りこけている四番バッターが、落ち着かない様子で時計を見上げている。彼の表情はどこか不安げだった。

 清原には体格に似合わず繊細な一面があった。まだ入学したてのころ、頻繁に岸和田の母親に宛てて手紙を書いていた。返信封筒に好きな女の子の写真を入れてもらって、それをよく眺めていた。ひとり屋上に上がり、思い詰めたような顔で夜空を見上げていることもあった。本間はその様子を見て彼がホームシックになっているのだと分かった。1年生の雑務は夜になっても終わらず、深夜の洗濯場で本間はよく清原と一緒になった。そんなときポケットに忍ばせていた菓子の包みを取り出して、それを半分に割った。音を立てないように2人で食べた。そういうときの清原は思う存分泣きじゃくった後の幼子のように無邪気な笑みを浮かべた。

またナイーブさの裏返しとして、清原には何かを信じたらそれをとことん思い込む一途さがあった。清原は自分のバットをまるで神物か何かのように扱っていた。練習や試合が終わった後、ベンチに戻った他の選手たちが早々に片付けを済ませて寮へ戻っていくなか、清原だけは時間をかけて丁寧にバットを磨いていた。就寝時にはバットを枕元にそっと置いた。聞けば、リトルリーグのときの指導者からそう教わったのだという。そうすることでバットが願いを叶えてくれるのだという。

清原は根拠にかかわらず、これと決めたら疑うことを知らなかった。甲子園のスターとなり、ドラフトの目玉選手となってもそれは変わらなかった。幼いころから憧れていたという読売ジャイアンツ入りが現実のものとして迫ってきて、むしろその危うい純情に拍車がかかっているようだった。

■清原の入団先はおそらくクジ引きに…

 壁時計の針が11時にさしかかろうとしていた。本間は教師の視線が外れるタイミングを見計らって、後ろのドアからそっと教室を抜け出した。難しいことではなかった。そうした行為は初めてのことではなく、クラス全体にとがめ立てるような雰囲気もなかったからだ。

 1階に上がり、視聴覚室に行けばテレビがある。本間はそこでドラフト中継を見るつもりだった。清原のためではなかった。どれだけ本人がジャイアンツからの指名を信じていようと、ドラフトというのはプロ側に選択権がある。清原の入団先はおそらくクジ引きに委ねられるだろうという現実があった。

本間が教室を抜け出したのは、むしろ自分のためだった。清原が1位候補だというのは分かる。ただ順位にかかわらず、自分や他のメンバーが指名されてもおかしくないはずだった。何しろ31期生は夏の甲子園で優勝を果たしたのだ。

 2年生からベンチ入りしていた本間は最後の夏、スターティングメンバーに名を連ねた。レフトを守り、おもに八番を打った。決勝戦の途中で代打を送られたが、紛れもなく優勝メンバーの1人だった。だから憧れのジャイアンツ入団を夢見るのは、何も清原だけの特権ではないはずだ、という思いがあった。

 授業中の廊下には誰もいなかった。ひんやりとした空気の中、急ぎ足で階段を上がって1階に出ると、視聴覚室はすぐ目の前だった。中を覗いてみると2年生が授業をしていた。テレビがつけられていて、チャンネルはドラフト中継に合わせられていた。今年のドラフト会議が学園全体にとっても大きな関心事なのだということが伝わってきた。

■桑田はなぜプロにいかないのだろう?

本間はそこでふと思った。

 そういえば、桑田はなぜプロにいかないのだろう?

 清原と並ぶ才能を持つ桑田は早稲田大学への進学を希望していたが、今更ながらそれが不思議に思えてきた。

いつだったか、本間は桑田が読売ジャイアンツへの憧れを口にするのを耳にしたことがあった。

「PLに入って早稲田にいって、ジャイアンツに入る。中学のときにそう決めたんだ」

 本間と2人きりのときに桑田は言った。

怪物とは”桑田”ではないか?

 実際に桑田はもう十分にプロで通用するレベルにあった。わざわざ大学というステップを踏む必要などないはずだ。おそらくは31期生のほとんどがそう感じていた。

 清原は確かに怪物と呼ばれていた。だが、怪物という言葉があてはまるのはむしろ桑田のほうだと本間は考えていた。そう実感した瞬間があった。

 桑田が突然、鬼気迫るように走り始めたのは2年生の秋口だった。それまでもランニングの量では群を抜いていたが、さらに拍車がかかった。教団本部が建つ聖丘に晩夏の太陽が沈む時刻になると、エースは汗出しと呼ばれる真っ黒なウインドブレーカーに身を包んでグラウンドを出ていった。教団の敷地内にあるゴルフ場へひとり消えていく。それからしばらくは誰も桑田の姿を見なくなる。そして辺りが真っ暗になったころ、頭からびっしょりと濡れそぼった姿で寮に戻ってきた。

 桑田は何をしているんだ? 一体、どこまで走りにいってるんだ?

 多くの部員たちがそうした疑問を抱いていたが、従いていこうという者はいなかった。

 桑田の背中に他者を寄せつけない空気があったからかもしれない。

 本間にはエースの変化について思い当たることがあった。2年夏の甲子園決勝戦、PL学園は茨城の取手二高と対戦した。そのゲームで桑田は8点を失って敗れた。連投による疲労が身体を蝕んでいたのは明らかだった。

きっと桑田は最後の夏に向けて、連投に耐えられるスタミナをつけようとしているのだろう。本間はそう推測した。そして確かめてみようと思った。

ある日、本間はランニングに出た桑田の後を何食わぬ顔で追いかけた。エースは後ろからついてくる本間に気がつくと、振り返って少しだけ微笑んだ。そしてすぐに前を向いてまた黙々と走り始めた。

 ゴルフ場に入ると木々の間の起伏のあるコースを進んでいった。夕日に照らされた芝を踏む音と互いの息づかいだけが聞こえた。桑田は止まらなかった。ほとんど変化のない景色の中を走り続けた。やがて、汗を吸い込んだ練習着がぴちゃぴちゃと音を立て始めた。

 一足ごとに身体が重たくなっていった。

いったい、どれだけ走るんや……。

 本間はついてきたことを後悔し始めていた。

 体力には自信があった。チームメイトが音を上げるような練習でも動けなくなったことはなかったが、そんな本間でさえ不安を覚えた。1時間近くが過ぎたところで桑田はようやく止まった。本間は胸をなで下ろした。呼吸を整え、寮の方へ戻ろうと歩き始めた。

■こいつ、本当におれたちと同じ人間なんか…

ところが桑田はその場を動かなかった。そして目の前の急斜面を睨むと、そこを駆け上がり始めたのだ。頂上まで登るとゆっくり降りてきて、また駆け上がる。悲鳴をあげる心臓にムチを打つような反復だった。

 それが終わると、神霊が祀られているという御正殿のグラウンドに移動してインターバル走を始めた。200メートル、300メートルと距離を伸ばしながら走り続けた。桑田の足は止まらず、短距離走ではチーム一、二を争う俊足の本間が10メートルほども離された。

 こいつ、本当におれたちと同じ人間なんか……。

 本間はぞっとするような感覚に陥った。なぜ、ここまでやれるのか。桑田を突き動かしているものの正体がつかめなかった。

甲子園に出て全国に名前を轟とどかろせる――31期生の誰もが、いやPL学園に入ってくる誰もが少なからず野望を抱いているはずではあった。本間もそうだった。大阪市北区の強豪・大淀ボーイズでは知られた存在だった。市内の有名チームとは軒並み対戦し、打てなかったピッチャーは記憶になかった。PLに入って甲子園という舞台で野球をやることによって、自分の人生が切り開けるかもしれないと思っていた。その一方で、十代の夢は眩しさの分だけ現実を前にすると儚く霧散してしまうこともある。野球部を辞め、学園を去っていく者も1人や2人ではなかった。

■本当の”怪物”は桑田なのか?

 甲子園で勝つ。そんな漠然としたもののために果たしてここまでやれるだろうか? そのためだけに高校生がここまで自分を追い込めるだろうか?

 桑田には、自分たちでは計り知れないような動機があるのではないか、という気がした。その得体の知れなさが怖ろしかった。そのころから本間は本当の怪物は桑田なのだと考えるようになった。

 もちろん清原にも驚かされたことはあった。フリーバッティングで打撃投手を務めたとき、バットの根元に当たった打球が高々と舞い上がるとそのままバックスクリーンまで届いてしまう。清原はゆったりとバットを振っているように見えるのに白球はぐんぐん伸びてスタンドに吸い込まれていく。

 おれたちならセンターフライなのに、なんであれが入るんや。

同じバッターとして嫉妬せずにはいられなかった。意地になった本間が力を込めて渾身のスピードボールを投げても清原は相変わらず軽々としたスイングでスタンドに放り込んだ。それはひと目でわかる圧倒的な才能だった。ただ、清原は自らの才能に無自覚のように映った。持て余しているようでもあった。それが彼特有の大らかさを生んでいた。清原の怪物性は他者を遠ざけなかった。

対照的に桑田の才能は、本人の意志と直結しているように見えた。自分が他者にないものを持っていて、それが何であるかを明確につかんでいた。自分を疑い、自分に足りないものが何かを探すことができた。それゆえか、桑田の怪物性は他者を寄せつけない鋭さを伴っていた。

 2人の違いは試合になるとより鮮明になった。他の強豪校との真剣勝負において、チームの心の拠りどころになるのは清原のバットではなく桑田のピッチングだった。誰も想像できない戦況になったとき、それを打破できるのは桑田だけのように思えた。この男がマウンドにいれば負けることはない――自分たちとは隔絶した精神性を持つエースの存在が チームメイトにとって御守りのような役割を果たしていた。

本間は最後の夏を迎えるまでの数カ月、桑田とともにゴルフ場を走った。そうすることで何かを変えられるような気がしたからだ。

 すると夏の大阪大会から快音が途切れなくなった。それまでは好不調の波があってレギュラーポジションをつかみきれずにいたが、八番・レフトは本間のものになった。エースや四番に比べれば脇役のポジションだったのかもしれない。それでも夏の甲子園を終えたとき、本間は人生をかけた椅子取りゲームに自分は勝ったのだと実感することができた。それは桑田とともに走り続けた先にあったゴールだった。

 そして桑田は3年の夏が終わっても走り続けていた。閉ざされた空間での果てしない競争が終わり、誰もがようやく腰を下ろして静かな学園生活を送ろうというなかで、まだ何かに向かって走り続けていた。

それぞれが卒業後の進路について考え始めた秋のある朝、本間は桑田とともに校舎へ向かっていた。気怠い空気のなか、同じ制服姿の一般生徒の列にまぎれて歩く。野球部員が高校生活を実感できる数少ない瞬間だった。

 なだらかな下り坂の半分を過ぎたあたりで桑田が左へ折れた。あらかじめそうすると決めていたような迷いのない足取りだった。その先には教主の墓があった。

 椀の蓋のように土が盛られた墳墓には季節ごとに色を変える芝が生えそろっていた。まわりには堀がめぐらされ、正面には祭壇がもうけられていた。桑田はそこで立ち止まると目を閉じた。

■「何を祈ってたんや?」と問うと、桑田は…

 朝の静けさが彼を包んでいた。どれだけそうしていただろうか。桑田は祈りを終えると、本間のところへ戻ってきた。

「何を祈ってたんや?」

 本間が問うと、桑田は照れたように笑いながら、視線を外した。

「中学のときから好きな女の子のことだよ」

 それが彼の本心なのかどうか判断はつかなかった。ただ、すべての大会を終えた高校球児が祈ることなど案外そんなものかもしれないという気もした。そのときはそれくらいにしか考えていなかった。

 だがドラフト当日になってみて、あの朝の祈りが妙に腑に落ちた。桑田が甲子園の優勝投手になってもなお走り続けていたのも、すべてはこの日のためだったのではないかと思えてきた。

ああ、そうか……。桑田は本当はプロに行きたかったのか。

 本間はすべての謎が解けていくような感覚に包まれていた。

 ――ドラフト会議の中継が始まったのは午前11時のことだった。本間は廊下に面した窓から視聴覚室のテレビを覗き込んだ。

画面にはホテルの大広間で円卓を囲んでいる男たちが映し出された。プロのスカウトたちは一様にスーツ姿で険しい表情をしていた。ドラフト1位入札の緊迫感が伝わってきた。

 パ・リーグの最下位チームから順に1位入札の選手が発表されていく。冒頭、清原の名前が呼ばれた。地元大阪を本拠地とする南海ホークスが指名したのだ。それから日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、近鉄バファローズと4球団が甲子園最多本塁打のスターを1位指名した。

 実況するアナウンサーの声が教室の外まで漏れてきた。

『清原、早くも4球団から指名されました!』

 やっぱり清原はくじ引きやな……。

■「桑田さん、巨人の1位指名ですよ!」

 本間は、大人たちの手に委ねられた彼の命運に束の間、思いを馳せた。そしてまた画面に意識を向けた。カメラが引きになり、アナウンサーが少し声のトーンを上げた。

『さあ、そして、注目の読売ジャイアンツです』

 本間は画面を食い入るように見つめた。ドラフト会場に司会者の独特のアナウンスが響いた。

『読売、桑田真澄――』 そう聞こえた気がしたが、本間は何が起こったのか、すぐには飲み込めなかった。聴き慣れた名前がどこか遠くの他人のもののように思えた。

『巨人は桑田! 桑田ですかあ……』

 アナウンサーの声に驚きが込められていた。

本間は思わずドアを開けると、視聴覚室にいた野球部の後輩をつかまえて訊いた。

「おい、どうなってるんや?」

「桑田さん、巨人の1位ですよ!」

 後輩は目を見開いてそう言った。そこで本間は我に返った。次の瞬間、廊下を駆け出していた。衝動的に体が動いた。脳裏には黒いウインドブレーカーを着て、ひとり走り去っていく桑田の背中が浮かんでいた。

 桑田に知らせてやらなければならない。祈りが通じたのだと、教えてやらなければならない――。

本間は階段を駆け降りた。無人の廊下に向かって「おめでとう!」と叫んだ。教室が見えた。もう後方のドアに回るのももどかしかった。前方のドアを勢いよく開けると、教師の視線も、授業中であることもお構いなしに叫んだ。

「桑田、おめでとう! 巨人の1位やぞ!」

■誰かが言った。「清原はどうなった?」

 その言葉に教室の空気が固まった。凍りついたようになった。誰も何も言わず、桑田本人もちらっと顔を上げただけで俯いていた。重たい沈黙が見慣れた教室を支配していた。

本間は何が起こったのか分からず、呆然とその場に立っていた。

 誰かが言った。

「清原はどうなった?」

本間は脳裏に残っている映像を頼りに答えた。

「おお、清原もようけあったわ。どの球団かは分からんけど……とにかく、ようけあったぞ」

 反応はなかった。誰もが顔を伏せたり、窓の外に視線をやったりしていた。静寂を破ったのは清原だった。最終的に6球団から1位指名を受けながら、本命の巨人からは指名されなかった四番バッターは、大きく舌打ちをすると机の足を蹴った。その音が静まり返った教室に響いた。

 清原は何人かを隔てて自分の前方に座っている桑田を睨んでいた。桑田は俯いたままだった。本間には2人の間に流れている空気が何なのか分からなかった。

 自分は何かまずいことを言ったのだろうか……。

 クラス中の視線が桑田に注がれていた。俯いていたエースはやがて立ち上がると、無数の冷たい視線から逃れるように教室を出ていった。



  ◇   ◇   ◇

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