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日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因[2022.8.29]

日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因

【記事詳細】東洋経済オンライン

✍️記事要約

✅ 感染症法にとらわれる非科学で非謙虚な政策の数々、日本のコロナ対策が迷走ばかりで的を射ない原因

「コロナは普通の風邪だと思いますが、どうして、ここまで大騒ぎするのですか」

 私の外来に通っている患者から質問された。患者は80代の男性で、胃がんで2回手術し、昨年、房室ブロックという不整脈のため、ペースメーカー挿入手術を受けた。高齢で持病を有するため、コロナに感染すれば重症化しやすい。ワクチンは4回の接種を済ませていた。

今夏、この患者が妻とともにコロナに感染した。アメリカのメルクが販売するコロナ治療薬モルヌピラビルを内服したものの、症状は軽く、自宅療養で治癒した。これが冒頭への発言へとつながる。
 患者はダンスの愛好家だ。休日には夫婦そろって、同世代の友人たちとダンスを楽しむ。ダンス仲間にも、コロナに罹った人がいるが、皆、問題なく治癒している。コロナ感染のリスクをあおる専門家やメディアに不信感を抱いている。

 患者は元銀行員で、海外勤務が長い。現在も海外メディアをフォローしており、「日本の対応は異様」と感じている。元金融マンだけに、世界経済には明るく、「このままでは、世界から日本が落伍していく」と日本の将来を憂えている。
■日本の超過死亡はコロナ死者の6倍

 私は、この患者の意見に賛成だ。マスク装着から水際対策まで、日本のコロナ対策は異様だ。マスクの感染予防率はせいぜい2割程度だし、国内でコロナが蔓延している中、水際対策を強化しても意味がない。分けても問題なのは、漫然と自粛を要請した結果、多数の「自粛関連死」が起こっていることだ。

 3月10日、アメリカ・ワシントン大学の研究チームが、イギリス『ランセット』誌に発表した論文は興味深い。彼らは74カ国と地域を対象に、2020年1月から2021年12月までの超過死亡を推定した。
 超過死亡とは、過去の死亡統計や高齢化の進行から予想される死亡者数と、実際の死亡者数を比較した数字だ。この研究で、日本の超過死亡数は11万1000人と推定され、確認されたコロナによる死者1万8400人の6.0倍だった。

 この数字は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中で最高だった。わが国で、重症者のコロナ感染の見落としは考えにくく、長期にわたる自粛や高血圧や糖尿病などの持病を悪化させた高齢者が脳卒中や心筋梗塞を起こし亡くなっているのだろう。

7月29日、厚労省は「簡易生命表」を発表し、2021年の日本人の平均寿命は女性87.57歳、男性81.47歳で、いずれも過去最高だった前年を下回ったことを明かした。平均寿命が前年割れするのは、東日本大震災があった2011年以来だ。この事実も、ワシントン大学の研究結果と一致する。これでは何のための自粛かわからない。わが国のコロナ対策は早急に見直さねばならない。

 8月24日、岸田文雄首相が重い腰を上げた。私は、どのように方向転換するか、岸田総理のリーダーシップに期待していた。
 ところが、その期待は裏切られた。岸田総理が表明したのは、コロナ感染者数の全数把握を見直すなど、行政や医療機関の負担を減らすものばかりで、国民生活とは関係がなかった。

 政府は来たる臨時国会で、2類相当の見直しを議論する予定で、マスコミにはさまざまな専門家が登場し、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を展開中だが、これもピントボケだ。見直しを求める人は、保健所への届け出など医療機関の負担が大きいことを問題視し、慎重派は、5類にすると感染者の全数把握が不可能となり、さらに医療費の自己負担が生じるなどを問題とするが、後述する理由から2類・5類問題は議論の余地がないし、国民にとって優先順位は低い。
■2類感染症と「共存」などありえない

 冒頭にご紹介した患者のように、オミクロン株は感染しても軽症で治癒するケースが大部分を占める。コロナ後遺症など、十分に解明されていないものの、国民の多くがワクチン接種や実際に感染することで、一定レベルの免疫を獲得した現在、オミクロン株は過度に恐れる病原体ではないと私が考えている。個別対応することなく、感染者や濃厚接触者を一律に長期にわたり、自宅などで隔離するのはやりすぎだ。
 わが国のコロナ対策が、このようなやり方をするのは感染症法という法的根拠があるからだ。感染症法は感染者を隔離することで、社会を感染から守ろうとするもので、感染者の人権を侵害する。

 現に、ハンセン病や結核などへの対応で差別を生み出してきた。このような反省から、感染症法では「まん延を防止するために必要な最小限度」の規制しか認められていないのだから、コロナは即刻、2類感染症からは外したほうがいいだろう。日本政府は「ウィズ・コロナ」を推進している。2類感染症と「共存」などありえない。

もし、慎重派が指摘するように、5類に下げても、全数把握が必要なら、医療機関は感染者数だけ保健所に届ければいい。現在、感染経路からワクチン接種日まで、膨大な情報を報告しなければならないが、こうすれば政府が全数を把握しながら、医療機関の手間は大幅に削減されるはずだ。

 さらに、感染者の医療費負担が問題なら、自己負担分を予算措置すればいい。いまでも、感染症法の枠組みで公費を支出しているのだから、新たな財源措置は不要だ。岸田政権が本気になれば、すぐにやれることだ。
 コロナ対策では、こんな些末な問題よりも、議論すべき重要なことがある。それは感染症法のあり方だ。わが国の感染症法対策は、この法律に基づいて実施されており、これを変えなければ、いつまでも迷走を繰り返す。

 この法律の問題は、国家による国民の統制が主体で、国民の権利への配慮がないことだ。この基本姿勢が、わが国のコロナ対策を非科学的なものにして、進歩を阻んだ。

■技術で克服した欧米、強制隔離した日本

 このことを議論するうえで注目すべきは、わが国の感染症対策の歴史だ。わが国で感染症が激増したのは幕末だ。鎖国をやめ、海外から伝染病が一気に流入した。江戸幕府を引き継いだ明治政府は、感染症対策に苦慮した。当時、抗生物質も検査もなく、国家を感染から守るため、感染者・家族・近隣住民を強制隔離するしかなかった。
 もちろん、感染症が問題となったのは、日本だけではなかった。産業革命で都市への人口流入が加速したイギリスでもコレラの蔓延が社会問題となった。当時のイギリスが日本と違ったのは、十分な資本の蓄積があったことだ。民間の資本家が中心となって上下水道を整備し、コレラの蔓延を抑制した。テクノロジーが感染症を克服したのだ。

 私は、このような成功体験は、現在も欧米の人々の間で引き継がれていると感じている。コロナ克服に最も貢献したのは、mRNAワクチンを開発したファイザーやモデルナだ。欧米の市民は、チャレンジ精神あふれる企業を応援した。そして、このような企業は政府に依存しなかった。

残念なことに、明治の日本には、そのような資本も技術力もなかった。彼らが頼ったのは感染者の強制隔離だ。そして、その実務を担ったのは、内務省衛生警察と伝染病研究所だった。昭和に入り、結核対策を強化するため、内務省は各都道府県に保健所を設置し、感染症対策の実行部隊となる。

 戦後、衛生警察は厚生省(現厚労省)、伝染病研究所は東京大学医科学研究所と国立感染症研究所に引き継がれ、現在も基本的な枠組みは変わらない。明治時代に成立した伝染病予防法は感染症法に名前を変えたが、いまだに強制隔離が中心だ。コロナ対策でも、積極的疫学調査、濃厚接触者探しが強調された。
 この間、科学的な議論は二の次だった。厚労省や国立感染症研究所が、今春まで、コロナの空気感染を認めなかったことなど、その典型だ。昨春には、権威あるイギリス『ランセット』誌やイギリスの医師会誌が、この問題を社説などで取り上げ、昨年8月にはアメリカ『サイエンス』誌が、「呼吸器ウイルス感染症の空気感染」という総説を掲載し、世界的コンセンサスとなった。日本の専門家が方針転換したのは、1年以上遅れたことになる。
 もちろん、彼らが、このような論文を知らなかった訳ではないだろう。私は利権を守ろうとしたと考えている。もし、空気感染が感染拡大の主因であれば、全国の保健所をフル動員した積極的疫学調査による濃厚接触者探しは無意味だ。臨時国会で議論される感染症法改正では、積極的疫学調査の規模は大幅に縮小したほうがいいだろう。

■日本型モデルなど不要

 しかしながら、それは厚労省の担当部署、国立感染症研究所や保健所、そして地方衛生研究所の権限とポストの削減につながる。尾身茂コロナ対策分科会会長をはじめ、政府の専門家の多くは、このような組織の関係者だ。彼らにとっては有り難くない話なのだろう。
 科学的なエビデンスに反してまでも、飛沫感染を重視し、飲食店などでの感染リスクをあおることは、国民にとっては迷惑以外の何物でもないが、彼らの利益を守るという点では合理的だった。今後も、同様の詭弁を弄し続けるだろう。今回の2類・5類論争が、まさにそうだ。

 残念ながら、現在、コロナで世界をリードするのは圧倒的にアメリカだ。mRNAワクチンや治療薬を開発したのが、ファイザー、モデルナ、メルクなどのアメリカの製薬企業であるのは、その象徴だ。

安全保障を重視するイスラエルですら、ワクチンや治療薬を独自に開発していない。同国に、そんな実力がないことがわかっているからだ。国産ワクチンや治療薬にこだわり、巨額の血税を投入した政府のあり方は、空気感染を無視し続けた専門家と同じくらい罪深い。

 コロナ対策は、世界の叡智が結集し、試行錯誤を繰り返す。その研究成果は、『ネイチャー』や『ランセット』などの英文の医学誌で発表される。われわれは、もっと世界から学ばなければならない。
 「日本型モデル」などは不要だ。もし、画期的な研究成果なら、「日本型モデル」などと自画自賛しなくとも、一流の医学誌や科学誌が論文を掲載し、世界中が関心を抱くはずだ。現に、河岡義裕・東京大学医科学研究所特任教授らの研究が、『ネイチャー』や『ニューイングランド医学誌』などに掲載され、世界のコロナ対策に影響を与えている。

 政府の役割は、コロナ研究をリードし、国民を統制することではなく、国民をサポートすることだ。そのためには、医療や検査を受ける権利、隔離される権利などを感染症法で保障するのがいい。現在の感染症法では、このような権利は明文化されておらず、多くの施策は政府の恩寵的財政措置にすぎない。検査キットなどが不足すると、厚労省は都道府県などに補助金を出すが、財源がなくなると同時に終了となる。
 政府は、もっと国民の声に耳を傾けなければならない。流行当初、感染を恐れた世界中の人々は、「病院に行きたくない。他人と会いたくない」と望んだ。このとき、世界と日本の対応は違った。日本は医療機関に補助金を支払い、発熱外来を設置し、医療機関の受診を37.5度4日以上の発熱が続く人に限定した。厚労省や専門家は、「日本の医療を崩壊させないために必要な措置」と繰り返した。

 一方、世界は自宅で検査、さらに医療が受けられるように工夫した。例えば、アメリカは、2020年3月に医療機関でのコロナ感染の拡大を防ぐため、すでに承認した心電図やパルスオキシメーター、電子聴診器などの非侵襲的な医療機器とそのソフトウェアを遠隔診療に用いることを緊急承認した。

自宅で利用できる検査は続々と開発され、昨年1月にアマゾンは、FDAが承認した検査キットの販売を始めている。このような検査結果を用いて、感染者は自宅にいながら、医師の遠隔診療を受けることができるようになった。

■アメリカは国民のニーズに真面目に対応している

 一方、遠隔診療に対する厚労省の対応は異様だった。検査の精度管理の難しさを強調し、抗原検査キットの販売に際して、薬剤師の対面での指導を義務づけた。ネットでの販売が解禁されたのは、今月になってからで、8月24日にロシュ・ダイアグノスティックスが販売する一般向けの抗原検査キットが承認された。アメリカからは周回遅れだ。
 この遅れは、わが国にとって致命的だ。その影響はコロナに限らない。アメリカでは、コロナ流行をきっかけに遠隔医療が急速に発展した。

 昨年11月、アメリカのジョンソン・エンド・ジョンソンは、糖尿病治療薬カナグリフロジンの第3相臨床試験を、被験者が医療機関に通院することなく、すべてバーチャルでやり遂げた。さらに、ユナイテッドヘルスケア社などが、遠隔診療に限定したプライマリケアを提供する保険の販売を開始した。この枠組みは、医師不足に悩む僻地医療問題の解決にも貢献するはずだ。
 アメリカは、コロナ対応を通じて、リモート診療、そしてリモート勤務を支える社会システムを構築した。私は、このようなシステムが、ポスト・コロナのプラットフォームへと成長すると考えている。なぜ、彼らは、このようなシステムを生み出せるのか。それは国民のニーズに真面目に対応しているからだ。地道に試行錯誤を繰り返すアメリカの社会から、われわれはもっと学ばなければならない。

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☘️ヤフコメ❗️ピックアップ☘️

✅ 今までの対策の結果を検証・データ化していく時期なのでは?
もう、意味のない対策は止めませんか?結局、ワクチンを打とうがマスクをしてようが、新規感染者世界一位を取っているのだから、対策が意味をなしてないのは明らか。政府やメディアはそれを認めず明らかに避けている。
ワクチンに関しては、明らかの今の型には合わず意味を成してないのも明らか。だって、4回打って感染している人が事実多いから。
ハーシスにはワクチン何回打ったかも記録するので、厚生労働省も把握出来ている筈。以前の様に、マスク無しの生活に戻りたいと思っているのは少なからずいる筈だし、現状のコロナ対策は世界に大分遅れているのも事実。これらを認めて、次の段階に進んでもいいんじゃないと思う。
✅ まず、日本の自称専門家は自分の間違いを認めないところが凄いな、と思う。減点主義の成れの果て、だよね。
いわゆる8割おじさんもさしたる成果を出していないのになぜか京大の教授に栄転。彼の言動が日本を救ったか、といえば「??」がつくはずなのに…。でも医療界では実はブランドになってるんですよね、彼。学術的な評価と現実社会的な評価とあまりに乖離している、てことがここで分かるわけ。
今回分かったのは学術の世界に生きている方は原則政治にかかわったらダメ、てこと。飽くまでアドバイザーの立ち位置で、採用されなくても文句言っちゃダメ、てこと。政治的判断って医療的なこと、経済的なこと、人道的なこと含めあらゆる事象をトータルに考え決断するじゃない?医療的なことという極めて限定的な事象を最重要項目にしたらこうなるよね、という悪い見本を日本は世界に示してしまった、と考えます。

以上、一市井の医療従事者の呟きでした。
✅ 『空気感染が感染拡大の主因であれば』 と
ソレを日本の問題とするなら
WHOの判断や発表を鵜呑みにしていた
無責任(責任転嫁)が問題だど思うよ

ルールに従う遵法意識や精神を悪いとは言わないが

良し悪しや、必要や不要か、
独善ではなく
客観的な判断や、どこまでなら問題ないのか
前提も条件も異なる事に対し
異常者(例外)を持ち出し、全体に網をかける対策
管理側(例えば国)からすれば、楽だよ
管理される側(例えば国民)も、楽だよ
自身で考える事を放棄、得られた結果が良ければ自分のモノ悪ければ(責任は)ルールを作った側に丸投げ

不特定多数が存在するところにルール(法律)は必要
でも
周りを見て気付く通り「それは違うよね」とか多い

今なら、車に運転手しかいないのにマスク? とか

ブラック校則とされる校則は典型的な事かも
過去、必要とする意味はあったのだろけど見直しは無く中身が現実離れ

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