20代社員がとにかく「心理的安全性」を重視するワケ
✍️記事要約
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あのグーグルが「心理的安全性こそ生産性を高める鍵だ」と述べたことで、一躍注目を浴びている「心理的安全性」という概念。みなさんはどれだけ理解しているだろうか? これまで多くの企業の組織づくりを支援し、『人的資本の活かしかた 組織を変えるリーダーの教科書』の著書もある、株式会社NEWONE代表取締役社長・上林周平氏が、今の若い世代が求めている「心理的安全性」の本質と、「ダイバーシティコミュニケーション」の重要性について語る。
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■「会議で率直に意見を言ったら、おかしな空気になった」
「有給を取ると言い出しにくい」
「上司に“大丈夫? ”と聞かれても、つい“大丈夫”と返してしまう」
「わからないことを“わからない”と言ったら先輩がポカンとしていた」
理屈はよくわからないけど、なんとなく自由に発言できない。
言いたいことを言うと対人関係のリスクが高まる。
そんな「心理的安全性の低い職場」に、今の働き手は戸惑います。
閉塞感のある職場よりは、なんでも健全に話し合える職場のほうが好ましいのは当然です。
しかし今になってなぜ、こんなにも心理的安全性が求められるのでしょうか?
あのグーグルが「心理的安全性こそ生産性を高める鍵だ」と言語化した影響は大きいでしょう。
ただ、抽象的なキーワードだけに流されてしまうと、具体策が見えてきません。好き放題に発言できるだけでは、単なるゆるい職場になる懸念もあります。
40代以上の世代からすると、かつては心理的安全性が低い環境で働くことが普通で、「それが会社だ」「それが仕事だ」という空気さえ漂っていました。
「正しいことも聞き入れてもらえない」
「わかっちゃいるけど言うだけ無駄」
そんなストレスを抱えた経験がある人も少なくないはずですが、それで仕方ないと済ませるのは古い価値観でしかありません。
では今の働き手、特に若い世代が具体的に求めている心理的安全性とはなんなのでしょうか。
■ 「主体性」を求められるのに発揮できない
私は、今の働き手、特に若い世代がことさらに心理的安全性を求める背景には、生育環境と職場環境とのギャップがあると感じています。
俗にZ世代(1990年代後半~2010年生まれ)といわれる人たちは、SNSを通じて知識や情報を豊富にもち、自分の意見や考えを発信することに慣れています。主体性が大事だと言われながら育ち、会社からも主体的に働くことを期待されています。
それが、いざ職場に配属されると、思ったほど自由に議論ができず、主体性も発揮できない。そんな落差に困惑しているのです。
経団連が発表した「2018年度新卒採用に関するアンケート調査」を見ると、選考時に重視する能力の1位が「コミュニケーション能力」で、2位が「主体性」です。2001年からのアンケート結果の推移を見ても、このトップ2は年を追うごとに需要が高まっていることがわかります。
企業研修でも自律自走する社員の育成などは非常にニーズが多いので、企業側が従業員に「より主体的に働いてほしい」と願っていることは私の肌感とも合致します。
それが人的資本=人の持っている能力を活かすことにつながり、そのためには心理的安全性が高いほうがよいわけです。
ところが現場の上司・部下の関係はというと、まだ心理的安全性が十分に担保されているとは言えないのが実情ではないでしょうか。
旧来のピラミッド型組織では、上意下達の縦の関係が当たり前でした。
人的資本よりも仕組みで価値を生んできた組織人は、上からの指示をやり抜くことで会社に貢献する働き方に慣れています。管理職の仕事は、文字どおり管理です。そのため部下ともフラットに意見を交換して、よりよい問いや答えを導く横の関係にチェンジしきれないのです。
レポートラインを守り、いくつもハンコをつく稟議承認を回し、意見を通したければ根回しをする……。若者からすると「無駄じゃん」と思うような謎ルールのオンパレードです。
主体性を発揮してほしいと期待されているのに、いざ発揮しようとすると謎ルールに阻まれる。そんな現実が積み重なると、次第に意欲を失います。学習性無力感を植えつけられてしまうのです。
■「話しにくい上司」は実は多くない
勘違いしてはいけないのは、上司の人間性やコミュニケーション能力に大きな問題があるわけではないことです。
露骨なハラスメントは確実に減っていますし、最近はかえって上司が部下に気を使ってしまうという声さえ聞かれます。ですから心理的安全性が低い状態とは、ハラスメントが起きていたり、恐怖政治で支配されて何も言えないような状態を指すわけではありません。
根本的な問題は、昔ながらのカルチャーです。
実は一番頭を悩ませているのは中間管理職かもしれません。価値観としては部下のことが理解できるのですが、より上の管理職・役員のカルチャーを急に変えることなどできません。
また、40代以上の場合、自分はこの会社に雇われている、今さら辞めるつもりもない、評価されたいという気持ちから、「余計なことは言わない」ようになってしまうのも無理はありません。
そんな状態では、部下が素直に意見を出してきても「まあそうなんだけど……なかなかね。まずは言われたことをやろう」と言わざるを得ないでしょう。
堂々と上に意見を通せるリーダーならば、カルチャーを変えていけるはずですが、誰もがそうできるわけではありません。どんな謎ルールもカルチャーもぶっ飛ばしていけるのは、サラリーマン金太郎や半沢直樹のファンタジーの世界です。
では、職場の心理的安全性を高めるために、どんなことができるのでしょうか。
すぐに実行できるのは、いわゆる「ダイバーシティコミュニケーション」です。
ダイバーシティコミュニケーションとは、お互いの違いを認め合ったり、多様な人たちの気持ちを知り、対話を重ねることです。
例えば、部下から見て上司が「なんでも否定する」「何を言っても無駄」と思われてしまう場合、ダイバーシティコミュニケーションが不足している可能性があります。
■部下に自分のことを開示してみる
上司には上司の置かれた立場や、上司だからこそ知りうる組織の事情があって、部下に返答しているはずです。ところが部下がそれをわからないと、「なぜそんなことを言うのか」「どうして普通に良いと思うことを進められないのか」と疑問ばかりが湧いてきます。
ですから上司は、「部下にはまだわからない」「いずれわかる」と諦めるのではなく、自分のことを開示してみるとよいのではないでしょうか。
世代や勤続年数が違えば、立場も違うし、視点や視座が異なることは当たり前です。すべてがピッタリ一致する人間などこの世に一人もいません。
終身雇用・年功序列の組織であれば、嫌でも立場が変わっていって、いずれ上司の言っていることが理解できることもあるでしょうが、今はその前に転職してしまいます。リアルタイムにお互いを理解し合う努力が、以前よりも重要になっているのです。
優しいだとか、ちゃんと話を聞いてくれる、などというのは、コミュニケーションの大前提でしかありません。そのうえで、自分も少しずつ開示していくことで、部下の「言っても無駄」という理不尽さは軽減されていきます。
特にZ世代は、上の年代の人たちなど異質な文化にアジャストするのが得意でないと言われています。SNSは自分と同質性の高い人々と簡単にコミュニティを形成できるため、その対等な関係の中で議論や対話をして、バリューを出すことはできます。その一方で、異質な人たちの中でのコミュニケーションには慣れていない傾向があります。
私たちのような「オジサン」年代であれば、部活やバイトでもわかりやすい縦社会で、良くも悪くも会社はその地続きにあったので、自然とコミュニケーションの型が備わっていました。また、飲ミュニケーション文化の中で強制的に上司や先輩のことを知る機会もありました。
こうした世代間ギャップを理解することも、ダイバーシティコミュニケーションの一環だと思います。
もちろん、頭ごなしに「私の立場を考えろ!」と押し付けてしまってはハラスメントにしかならないので、少しずつが原則です。
あまり難しく考えずに、例えばお互いの出身地や好きな食べ物、趣味などを知り合う程度のことから始めてもいいと思います。それでも十分に、今までとは違う側面が見えてくるのではないでしょうか。
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☘️ヤフコメ❗️ピックアップ☘️
ただ一方で上の世代の勉強不足は深刻だと思う。
決められた事をやる事、上位下達の世界だけで育ち、リーダーシップや組織に関する勉強もせず、社内の処世術がたまたまうまかっただけで偉そうにしている人がたくさんいる。
そういう人が確かにそれで過去功績を上げたこともあったのは事実であり、その点は尊重しなくてはいけないが、その層からまず変わるか退場するかしてもらわないとこれからの日本企業はどんどんとダメになると思う。
✅ 上司の世代であっても同じ様に思っているのではないでしょうか?
意見をポンと言う前に、事前に徐々に根回しして個々の了承を取り付けておく、その根回しを得た上で会期で発言し公式の了承を得る。私も本当に面倒くさいやり方だと思っています。
また周囲の様子を伺いながら発言内容の程度差を瞬時に把握し、大きく外れた意見にならない様に気を付けると言うのも如何にも日本的で、そんな環境では画期的な意見は出てこないと思います。
本当に主体性を持って、独創的かつ画期的な意見が欲しいと言うのなら、ブレインストーミング手法が良いのではないかと思います。
✅ 職場の20代だけ集めて、新人教育、企画立案、業務改善案等を出させてみると、視野が狭く、他人を動かす方策を持っていない傾向が見られました。
決められていることが、なぜそう決められているのか。に疑問を抱かない人が多く、私はこう思うのに周囲が理解してくれない。となりがちです。
新人への教育も、そもそも間違って教えていたり、「ちゃんと教えたけど、彼等ができないんです。」となりがちです。