「思考が深い人」「浅い人」を分ける決定的な差
✍️記事要約
元コンサル教授×東大生「頭の良さ」対談:前編
自分の頭で考えることは意外に難しい。頭の良い人は、頭をどう使っているのか? 本質的な解にたどり着くには具体的にどうすればよいのか?
外資系の事業会社やコンサルティングファームを経て、いまはビジネススクールで教鞭をとり、『武器としての図で考える習慣:「抽象化思考」のレッスン』を上梓した平井孝志氏と、偏差値35から2浪の末に思考法を改革して東大に合格、『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』を上梓した西岡壱誠氏が、本質を見失いがちな日本人の教育や論理思考について対談した。前・後編でお届けする。
■ 図で理解するという「思考の型」
西岡壱誠(以下、西岡):『武器としての図で考える習慣』には大変感銘を受けました。実は僕は、東大入試においても、図式化が有効だと感じた体験があるんです。
僕は偏差値35から東大を目指して2浪しましたが、受験勉強をはじめた当初は、ノートもただ写すだけで、大事なポイントがわかっていませんでした。ところが、合格した友人たちのノートを譲り受けたとき、彼らが図を描いて問題を整理していることを知ったんです。
それを参考にして、例えば世界史ならヨコ軸に「フランス」「イギリス」、タテ軸に「17世紀」「18世紀」をとった2×2のマトリクス(「田の字」の図)で考えてみると、余計な枝葉が消えて、思考が整理されました。平井先生は、どういうきっかけで図を使われるようになったのですか?
平井孝志(以下、平井):「田の字」の図と出会ったのは、就職してからです。大学院までは物理を専攻していましたので、図で考える癖はありましたが、すべてはヨコ軸がインプット、タテ軸がアウトプットの「関数」でした。渋谷のスクランブル交差点を歩きながら、人々の歩行速度の変化と混雑率を考えて4次関数の図を思い浮かべたり(笑)。
それが、就職してはじめて関数以外の図があると知って、驚いたんです。社内でそれまで考えられてきた枠組みやパターンがあって、「田の字」や「矢バネ」だけでなく、ヨコ軸もタテ軸もインプットで、真ん中にアウトプットがあるというような図もありました。感動しましたよ。
西岡:そこには平井先生の「図で考える目線」というものが前提にあるように感じます。例えば、渋谷の交差点を見たときに、これを図で見ればどうなるか、また、違う図ならどう見えるかというような「思考の型」がいくつもあるのではないでしょうか?
平井:そうかもしれませんね。社会というものは、あまりに複雑で、すべてを1つの型だけで見るのは難しいものです。自然科学では、雑音を削ってピュアな見方をすることもできますが、社会科学ではそれは難しい。やはり多面的な見方をして、それらを合わせた理解をすることが重要だと思います。
■ ミクロとマクロで見えない本質を探る
西岡:僕は、何かを深く理解する、物事を深く考えるときに、それを自分自身や、誰かに説明できる状態に持っていくことが、理解に深みを与えると考えています。受験も同じです。そのためには、文章を数式や図に変換できるかどうか。つまり、採点者にどううまく説明するかという感覚です。
平井:図で説明することによって、枝葉をそぎ落とした本質、要するに論理構造そのものを見るということですね。それをいろんな図で表現できるということは、それだけ深く理解できているということだと思います。
西岡:例えば、人になにかを説明するときに、まず「これには3つ理由があります」と宣言して、自分の話したいことを整理するという方法がありますが、これも同じだと思います。3つと言っても、1つ目はしっかりわかっていること、2つ目はぼんやり思っていること、そして3つ目はまだ考え中でわかっていないことだったりもする。でも、「3つに整理しよう」と決めてから話すと、伝わりやすくなるんです。
平井:人間、同時にいくつも考えられるなんて相当な天才ですからね。3つに分けるというアプローチには、ハード、ソフト、その関係性という切り口もあります。そのように区切って話しているうちに、新たなことを思いついたりもしますから、思考のパターンや癖として有効かもしれませんね。
西岡:そのパターンや癖の多さが、プラスになると思います。ハード、ソフト、そして俯瞰すること、賛成意見を挙げたら反対意見も考えてみることなどで思考が深まりますから。
平井:まさに西岡さんが『東大思考』で書かれた「ミクロとマクロを行き来する思考」ですね。私の言葉で言うならば、「ビッグピクチャーで考える」ということです。全体を見たり、中の構造を見たり、それを行ったり来たりするという訓練が必要でしょう。
西岡:僕が「この人の思考は面白いな」と感じるのは、自分がまったく持っていない軸を持っていることに気づいたときなんです。ああ、こんな軸で考えられるのかと。逆に言うと、ただ1つの軸だけで見ていたのが、偏差値35だった頃の僕でした(苦笑)。
平井:あまりにも情報があふれて、現象の処理だけに終始することがあるんですよね。私は、学生にレポートを書いてもらうとき、1つだけ条件を出すんです。「私が読んだとき、面白いレポートを出してね」と。
つまり、そういう切り口で来るのか、その軸があったか、というものを出してほしいということです。みんな頭を抱えていますが、その作業によって、見えていなかったものが見えてくるのが面白いわけです。見えている現象だけを記述してもなんにもなりませんから。
西岡:僕が『東大思考』という本で描きたかったのも、まさにそこなんです。日常生活のレベルから思考を深くすること、誰かと同じものを見ていても、もっと違う見方があるんじゃないかと常に疑ってかかるということが、頭を良くする行為ではないのかなと。
平井:そうですね。根幹、本質がどこにあるのか。その現象を生み出している構造や因果を理解すると、打つ手が見えてきます。
ビジネスの世界でも、この新しい事業はなぜうまくいかないのか、という問題が発生したとき、そこには必ず理屈があり、それを理解すれば解決策が見えます。ミクロであれマクロであれ、押さえるべきものをどれだけ押さえているかということが大事ですね。
■ 東大受験は教科書だけで十分
西岡:僕はまだ大学生で、社会人経験がありませんが、受験の世界では本当に押さえるべきことは、実は少ないということもあります。
平井:そうですね、西岡さんの本を読んでうなずいたのは、受験の段階では覚えることは少ないということです。科目によってばらつきはありますが、例えば物理や数学は、覚えることはほぼありませんよね。
小学生のときにピタゴラスの定理をしっかり理解できていると、その後の三角関数もすべてわかりますし、そこに線を足したり、右、左と見比べたりするだけで、別の定理がイメージできたりもします。実は、小学校のときから根本はずっと一緒だったりするんです。
西岡:わかります。基本の図形さえわかっていれば、まったく暗記しなくてよいものを、みんな「サイタコスモスコスモスサイタ」なんて丸暗記しているんですよね。
西岡:僕自身、最初はそれに気が付かなかったんです。覚えなければならない法則や方程式がこんなにあるのかと。でも、実は1つ覚えればすべてに応用が効きますし、そもそも1つのことしか言っていないというようなことばかりですよね。法則や方程式という枝葉に気を取られて、本質を見ていなかったわけです。
平井:受験になると、たいてい山のように参考書を買ったりしますが、僕は、そんなものはいらないと思っています。これはなかなか理解されませんが、参考書は1冊か2冊、それさえ読まなくてもいいほどで、教科書だけで十分だというのが僕の実感なんですよ。
西岡:まったく同じことを、東大卒の方からよく聞きます。参考書はいらない、教科書に全部書いてあるでしょうと。でも、受験生にそう言っても信じません。東大の試験会場に行けば、世界史や日本史は、みんな山川出版社の教科書を読んでいるんだぞと言いたいんですが(笑)。
年号なんかも、暗記する必要はないんです。時代の流れとして、17世紀はこんな時代だとわかっていれば、この出来事はその中盤で起きたということは覚えなくてもわかります。そこから派生したものの1つとして、年号が登場するだけです。それなのに、何年に何の事件が起きたとか、最初から必死で暗記しようとしてしまうんですね。
■ 思考の最初のカット(切り口)が大切
平井:思考の最初のカット(切り口)が年号になっているわけですね。CTスキャンのようにすべて切り刻んで頭に入れるという。
受験の土俵というのは、ルールも求められていることもシンプルで、リアルの社会に比べるとすごく簡単な世界です。ですから、思考の土台をしっかりさせれば、もっとレベルを底上げできると思うのですが。
西岡:しかし、今は、わかりやすいものや格好のいいものに飛びついてしまう時代だとも思います。最近の参考書はすごいですよ。カラフルで、美少女のイラストが描いてあったりして、「この参考書で勉強できたら嬉しい」という世界です。もちろんレイアウトの妙や見せ方を良くすることは大事ですが、なにか本質がともなっていないように感じますね。
平井:暗記するということ自体は否定はしませんが、バランスの問題がありますね。いまは知識詰め込み型に偏重しているんでしょう。ミクロの論理構造と全体のつながりを、行ったり来たりしながら自分の頭のなかで組み立てていくような姿勢がないと、流されてしまいます。
西岡:そうですね。本質を見極めるという思考は、絶対に社会に出てからプラスになるものですし、受験やビジネスにかかわらず、日常生活から役立ちます。でも、なかなかそうできないという方は多いです。
その点、図で考えるという方法は、インストールして、真似をしてやっていくうちに、誰にでも活用できるようになるところがあると僕は思っています。
平井:そうですね。意識して使おうとすると、手段の1つになりうるでしょう。