昭和の管理職おじさんが抱える「深すぎる中年の闇」
✍️記事要約
激しいデモ活動が起きたフランスの年金問題。4月には、年金支給開始年齢が62歳から64歳に引き上げられた。
日本では、23年前に老齢年金の支給が60歳から65歳へと引き上げられた。さらに少子高齢化、人生100年時代の到来など、社会の大きな変化に揉まれ、受給開始の上限年齢が75歳へ引き上げられるなどの改正が行われている。
60歳で定年。後は旅行やゴルフをしながら悠々自適に暮らす、そんな人生、今はもう過去の話。これからは60代はもちろん、70代になってなお現役がスタンダード。生活のため、そして生きがいのために働くことが求められているのかもしれない。
70代になっても求められる人材とは一体どんな人なのだろう。そのひとつの鍵とも言われているのが50代でのキャリアチェンジ、そしてキャリアの再考だ。
橋本康(仮名・51)はまさに今、そのときを迎えつつある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「我が社は役職定年が55歳です。僕は今、51歳でその時が刻一刻と迫っています。役職定年といえば、聞こえはいいですが、実際のところ定年前にお役御免を迎えるということです。給料が高いだけで無能な用無し……そんなレッテルを貼られるかと思うとなんともいえない気持ちです」
肩を落とす康だが、日本では多くの大企業でこのような役職定年や早期退職制度が用いられている。企業としては若い人材を投入し、新陳代謝を促したいという狙いがあるのだろう。同時に高い給料を支払うコスト面での負担も見え隠れする。
「役職がつかなくなれば、給料は20~30%減りますし、おそらく子会社への異動が言い渡されます。同期のなかでこの残念な役職定年を迎えるのは僕1人。同期の多くはもっと早く転職をしていたり、個人事業主になっていたり……。1人だけ役員として活躍をしていますが、入社時から抜きん出た存在です。僕なんて50になっても部長ですから……情けないばかりです」
康は現在、部下30人をまとめる部長だ。仕事として主だっているのは、マネージメントだと話す。
「大人数をまとめるのは骨が折れる作業です。本当に文句ばかり言う奴も多くて。そういう奴にはときにはガツンと言いますよ。人を怒ったり、管理するのって本当に疲れるんですよ。こんな誰もやりたくない嫌われ役をやっているのに、役職定年がくるなんて通りに合わないですよね、まったく」
そんな康は今、1人の部下に手を焼いているという。彼は42歳。康曰く、海外育ちの自由人。日本のやり方をわかっていない、そんな男らしい。
「最近入ってきた転職組で、上からはかなりのやり手だと聞いていたんだけど、僕からすると全然。仕事ができるとか、できないとかそんな話の前に最低限、日本のルールというのかな? そういうのがわかっていないんです。
例えば基本の言葉遣い。敬語とか尊敬語はからきしダメで、タメ口になってしまうことも多いんです。それに年上を立てるとか、スタンドプレーをしすぎないとか、そういう企業人として基本の「き」がまるでできていない。常々注意をしているんですが、全然聞かないんですよね」
さらに康を悩ませているのが、部下の多くがその彼を慕っていることだという。
「彼は背が高くて、見た目もおしゃれ、話がうまいところがあって、みんなの気持ちを惹きつけるのが上手い。そのなんというのかな、チャラさみたいなものに部下たちが引きずられるというか、影響されるんじゃないかと心配しているんですよ」
康はそれからも事あるごとに、彼に注意をした。その注意のほとんどはルールに従えということだった。それに対し、彼はルールを変えればいいのではないか、そんな類の提案を幾度となく、康にぶつけてきたという。
「例えば、毎週月曜の13時に定例の会議をしているんです。その会議を金曜の10時にしたらどうかと。でもこれまでずっとこのスタイルでやってきたんですよ、私が部下の時代から。そのルーティンをわざわざ変える必要があるとは感じないと突き返しました。すると金曜の10時にする方がより効率的であるというデータをまとめたものを持ってきたんです。こんなことしている時間があるなら、仕事をしろと言いましたよ」
その後も彼は挫けることなく、ありとあらゆるルールに対し提案を繰り返した。その度に康はそれを突き返した。
「ただの反抗期のようなものだと僕は勘違いをしていたんです。ルールも守れない、どうしようもない奴だと彼を完全に見下していました。しかし、蓋を開けてみれば、何もわかっていなかったのは僕の方だったんです」
彼は一体何を「わかっていなかった」のだろうか。
彼が既存のルールに対し、おかしいと声をあげ続けたことで部内の雰囲気は徐々に変わっていった。
部下の多くが、1人、また1人とより意欲的に仕事に取り組むようになったというのだ。一見すると良いことのように思えるが、康は内心穏やかではなかったという。
「もっと自発的にやってほしいということは、私も定例会議でも毎週話していました。どうして僕が言うことはできなくて、彼に引っ張られるように部下たちが変わっていくのか……当時は納得がいかなかったというのが本音ですね」
そしてある週の定例会議で大きな変化が起こった。これまでワンパターンの報告しかしなかった部下たちが定例会議の時間を変更してほしいと言い出したのだ。
「なかには、定例会議自体を見直すべきだという意見までありました。驚いてしまいましたよ。今までの会議で話すのはほとんど私。他の奴らはまるで貝のように押し黙っていたんです。それなのに急にそんなことを言い出したんで、彼に唆されたのではと訝しむほどでした」
これまでの定例会議は、言うならばお通夜のようだった。生産性のない会話が続き、時間が早く過ぎるのをみんなが待っているのは明らかだった。それがどうしたことだろう。意見交換がなされるだけで、ここまで活気あふれる時間になるとは。康は決まりの悪い気分になったという。
「これまでの俺ってなんだったんだろうって、思いましたよ。その日の会議では部下たちが次から、次へと発言をするので、私は口を挟む隙がありませんでした。あれよあれよという間に、話がまとまり定例会議はさまざまな時間帯で試してみようという結論に至りました。
『次回からはまず火曜の15時にしてみましょう!どうですか部長?』と意見を求められましたが、反対できるような雰囲気は微塵もなく、了承せざるをえませんでした」
この会議をきっかけに多くの部下たちが康に意見をするようになった。もちろんくだらないものもあったが、的を得ている意見や考慮すべき意見がそのほとんどだった。誰からも意見をされない環境、いわば独裁的な支配力こそが、リーダーであると思っていた康にとっては青天の霹靂だった。
「部下たちを管理する、それは意見を言わせないことだと思っていました。その上で業務を滞りなく進める、これが僕の思い描いてきたリーダー像です。それでうまくいっていたのにも関わらず、彼が来てからというもの求心力を失っている……というか、リーダーの座を奪われた気持ちです。
あと数年で役職定年なのに、こんな仕打ちをされるとは思ってもみませんでした。部下が上司に意見をするなんて……僕の時代には考えられません。言われたことを言われた通りにやっておけばいいじゃないですか……」
康の願いとは裏腹に部下たちの変化は止まらなかった。意見を言い合い、時には議論をして、よりよい解決策を見出そうとクリエイティブに仕事を進めるようになっていった。康は完全に1人置いてけぼりにされてしまったのだ。
「上司の私に意見を聞くのは当然のことでしょう?そんなことすらしないんです。私はハンコを押す係とでも思っているんじゃないですかね。さすがに呆れて上層部に報告をしました。彼が来てから、古き良きルールが守られていないと」
しかし、理解を示してくれると思っていた上層部から返って来た言葉は、康が想像していないものだった。
「研修を生かさない君にも問題があるのでは?と言われてしまったんです……」
半年ほど前に始まった『これからのリーダーとは』という名の研修は、毎週水曜講師を招いて行われていた。康はタイトルを耳にしただけで、行く気が失せたものの部長以上は参加が義務付けられていたので仕方なく参加をしたのだった。リーダーとしてうまくやれていると思っていた康はまるで興味がわかず、内容はほとんど耳に入ってこなかった。
「部長クラスになるとこういう類の研修が多いんですよ。まるで意味のない時間。話を聞いても綺麗事ばかりで、ためになった試しがありません。だから、この研修にもほとんど身が入っていなかったのが事実です」
研修では、世の中のリーダーはステレオタイプが多く、彼らのチーム運営は管理がメイン。それに対し、新しいリーダーは個々の個性を生かし、チームを正しい方向へと導いていく存在でそれは一概に管理することではないという内容だった。上層部の話では、革命を起こした張本人である彼もその研修を受けていたという。
「彼はもともと素質があった上に、その研修を経たことでチームを率いるリーダーになっていったと会社側は判断したそうです。対してやり方を変えない僕には、不満が上がっているとも言われました。やっていられませんよ、本当に」
康のイラつきは、日に日に積み上がっていった。
「会社でのイライラに加えて、家でものけ者にされているような感じだったんです、最近。娘や息子は年頃なんでわかりますが、嫁が今までにないくらい冷たくて、家族のために頑張っているのになぜこんな態度を取られなきゃならないんだと思っていました」
そして康は家族からも総スカンを食らうことになる。
それは先日、夕食に前日に作った筑前煮を出されたときのことだった。
「思わず『虚しい食卓だな』と言ってしまったんです。嫁の顔が凍りついたことをよく覚えています。確かに言いすぎた、そう思いましたが後の祭り。その日以来、口も聞いてもらえません」
こうして、康は会社だけでなく家でも居場所を失ってしまったのだ。
「俺ばっかり、損な役回りですよ。誰からも感謝されない、誰からも慕われない……」
あまりに落ち込んでいる康を不憫に思ったのか、娘が週末の晩酌に付き合ってくれたときのことだ。
「彼女も働き始めて2年なので、色々あるよななんて話をしながらビールで乾杯をしました。久しぶりにいい気分になって、思わず、報われない自分の愚痴をこぼしたんです。そうしたら……」
ーずっと同じで、変わらないパパにも問題があると思う。時代の流れもそうだし、家族の形もそう。変化にさらされているんだから、私たち自身も変わらなきゃ。それに感謝されないとか、慕われないとかいうけど、自分はどうなの? 誰かに感謝したの? 誰かを慕っているの?ー
その言葉を受け止めきれない康を見て、娘はすぐに「うまくいかないことも多いけどね」と明るくいい、また別の話題を始めた。
「ハンマーで頭を殴られたような感覚でした。子どもだと思っていた彼女にこんな正論をぶつけられるなんて。子どもといえど1人の人間。尊敬する部分や学ぶべきところがたくさんある……妻がいつも話していた言葉が頭をかすめました。会社でも家でも独りよがりだったのは、自分だったんですね。情けないです」
康は心を入れ替えるべく、努力を重ねている。ただ、長く身についた感覚はそう簡単には変わらない。役職定年は残念ながら、前倒しされることになりそうだ。次の部長はあの彼になるらしい。
「これから先の人生を考えています。50歳の転職……正直、心が折れそうです。今まで何をしてきたかと問われて、答えられるのは管理職くらいですから。管理職なんて、どこの会社もいらないでしょう。それ以上の何かがなけりゃ。一体、自分が何をしたいのか、何ができるのか、毎日自問自答して考えています」
人手不足が叫ばれる一方で、50代での転職は難しいのもリアルだ。ただ、70歳まで働かなければ生活をしていけないとなると悠長なことも言っていられない。
50代での転職には、キャリアと給与のバランス、健康面への不安、完成されすぎた企業人像など、さまざまな弊害がある。デジタル化についていけないという人もいるかもしれない。しかしそれをひとつひとつ乗り越えていかなければ先はない。
こだわりや思い込みを捨て、選択肢を広げること、さらにはキャリアコーチングを受けたり、学び直しをするのも一考だ。
いずれにしても人生の後半戦は確実に長くなってきている。キャリアも人生プランも今一度、考え直す時期はもうすでに訪れていると肝に命じたい。
◇ ◇ ◇
☘️ヤフコメ❗️ピックアップ☘️
✅ この話の主人公は51歳、ということは1971年もしくは72年生まれで、四大卒で入社したとすれば入社年次は1995年くらい。バブル世代と就職氷河期世代の間くらいの設定。
私の実感からすれば、バブル世代だとこうしたザッツ昭和なメンタリティの奴もいないこともないけど、その下だとここまであからさまなのはあまりいないなあ。コーチング研修とかは私の勤務先でもやってて、一応その必要性についてはみんな納得はしている。
結論としては話の設定に無理があるってことかな。
✅ 今時こんな管理職います??
自分も管理職だけど、言わなくても改善提案持ってくる部下は頼もしい限り
言葉遣いも客先相手に気をつけてもらえばいいし、部署のムードメーカーになってるならこいつ中心に色々任せて部署の業績を上げればいい
楽をさせてくれる部下を使って時間を作って、自分の仕事のクオリティを上げる良い機会だよこれ