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頭の悪い人が使っている「3つのフレーズ」とは?[2023.8.16]

頭の悪い人が使っている「3つのフレーズ」とは?

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✍️記事要約

✅ 頭の悪い人が使っている日本語、納得の「3つのフレーズ」とは?

仕事や公式の場でもつい使ってしまって、周囲に知性を疑われる言葉遣いがある――。そう指摘するのは、多摩大学名誉教授の樋口裕一氏。ワンパターンの言葉を連発したり、物事を明確にしないで曖昧にぼかすのは頭の悪い話し方だという。そこで今回は樋口氏の新刊『頭が悪くみえる日本語』(青春出版社)から、とくに頭が悪く見える日本語トップ3を抜粋して紹介します。

■ 「めっちゃ」は語彙の貧困の表れ!
 いい大人が、「めっちゃ」という言葉を公的な場で堂々と口にしているのを耳にする。

「めっちゃきれいじゃないですか」「めっちゃうれしいです」「めっちゃ面白かった」などなど。先日、テレビのニュースで火災を目撃した人が「めっちゃ火が出て」と話していた。

「めちゃくちゃ」という言葉を使う人もいる。「めちゃくちゃよかったです」「めちゃくちゃ感動しました」。この言葉は、「めっちゃ」のように省略されているわけではないので、いくらかまともな表現だ。

 この言葉は、もともとは「やばい」などと同じようにマイナスの面を語るために使われていた。「滅茶苦茶」という漢字があてられ、度外れなこと、筋道が通らないことを示すのに使われていた。ところが、近年では、関西の芸人を通じて広がり、プラス面、マイナス面いずれの場合にも度合いの強さを強調するときに使われているようだ。しかも、この言葉は、「めっちゃ大きい」「めっちゃ歩く」「めっちゃ赤」というように形容詞、動詞、名詞のいずれも修飾するので使い勝手がいい。

このように口にしている人は素直な驚きを表現しているのだろう。どんなにうれしかったか、どんなに素晴らしかったか、どんなに火の勢いが強かったかを語っているのだろう。だから、親しい友だち同士の内輪の場でこのような言葉を使って、相手との距離を縮めたり、親しさを増したりするために使うのは、いっこうかまわない。

 しかし、会社内、あるいは見知らぬ人の前でこのような言葉を使うと、その知性を疑われる。

 まず、「めっちゃ」という言葉そのものが語彙の貧困さを示すものでしかない。「これまで見た花と違って、紫の色合いがきれい」「そんなことされると思っていなかったのでうれしいです」「火がすごい勢いで噴き上がっていました」などと言ってこそ、聞いている者に状況が目に浮かぶし、しっかりした語彙で語っていることがわかってもらえる。ところが、すべて「めっちゃ」という、かつてはマイナス面を語るときに使われていたこの言葉で済まそうとする。語彙の貧困というほかない。

 しかも、この「めっちゃ」「めちゃくちゃ」という言葉は、それを使った時点で、その後に告げられる表現の語彙の質の低さまでもがわかってしまうという点でも要注意だ。

「めっちゃ」の後にはありきたりの表現しか表れないだろう。「めっちゃ厳粛な雰囲気の仏像だ」などと語る人はめったにいないだろう。必然的に、「めっちゃすごい」「めっちゃ面白い」「めっちゃいい」「めっちゃ走る」などの表現になってしまう。

 そもそも、「めっちゃ」「めちゃくちゃ」は、貧困な語彙であるにもかかわらず、その威力を強めようとして強調する用法にほかならない。言い換えれば、「めっちゃ」「めちゃくちゃ」というのは、かつてはやった「超」と同じように、「私は語彙が貧困です」と宣言しているようなものなのだ。

「めっちゃ」「めちゃくちゃ」と言いそうになったら、もっと他の、より状況の伝わる言葉はないかを頭の中の辞書をくってみることをすすめる。そうしてこそ、大人であることを示すことができる。

■ 「みんな言ってます」は根拠のなさをごまかす言葉
 打ち解けた会議や雑談で、誰もがつい言ってしまう言葉の一つが、「みんな言ってます」だ。

 こう言えば、自分の主張が通りやすくなると思ってのことだろう。いまの潮流が、どうなっているかを言いたいかもしれない。本人はうまく言ったつもりかもしれないが、これは空回りに終わりやすい。

まず、「みんな」という言い方があいまいで、大げさでもある。しかも、本人の錯覚が混じっていることも多い。「みんな」と言っても、誰がそう言っていたかは記憶にない。じつは一人か二人しか言っていない気もする。あるいは、自分しか言ったことがなかったかもしれない。それでも、自分の話を補強するために、つい「みんな言ってます」と言ってしまうのだ。

 たしかに、言われたほうは、一瞬ぐらつく。「自分はそんなに世事に疎かったのか」と思って、うまく丸め込まれる人もいるだろう。

 だが、健全な常識のある人は、すぐに疑いはじめる。「みんなの言っている」ことが、どれだけ世間に浸透しているかは、自分の実感から推測もできる。実感がなければ、「みんな言っている」が本当かどうか、怪しく思えてくる。「みんなって、どれくらいの多数のことを言うのだろう」「具体的には、誰だろう」と思いはじめると、もう「みんな言ってます」に信憑性はなくなる。

 ここで、言われたほうが「みんなって誰のこと?」と問い返したときだ。「いや、みんなって、誰のことだったっけなあ」「僕の友人、みんなだよ」くらいにしか答えられないと、恥をかくことにもなる。

 このあたり、子どもの決まり文句を思い出す人もいるだろう。子どもが親に何かをねだるとき、持ち出してくる言葉が「みんな」だ。「みんな、スマホを持ってるよ」「みんな、このゲームをやってるよ」と言ってくる。「だから買って」というわけだが、親にはそれが水増しや、でっちあげであることがすぐわかる。

 大人の「みんな言ってます」も、子どものおねだりと同じ次元でしかなく、恥をかくことになりやすいのだ。

「みんな言ってます」はつい言いたくなる言葉だが、ここは言い換えを考える。「○○課長が言ってました」「評論家の××がそんなことを言ってました」と言うなら、説得の材料として認めてもらえる。また、普段から根拠のなさを「みんな」でごまかさず、「~という理由です」と言う習慣をつけると、言葉に説得力が生まれ、知的に見られるようになる。

■ 「~させていただく」の多用とネット社会の相関関係
 世の中に氾濫している、バカに見える日本語の代表格が「~させていただく」だ。テレビでも俳優が「○○役を演じさせていただいている、△△です」と自己紹介したり、大学教授が「このたび○○という本を出させていただいて……」などと新刊の宣伝をしたりする光景をよく見かける。

 同じようにビジネスマンも「係長をさせていただいています」と口にしたり、「入社させていただいて」「お送りさせていただきます」などと、「させていただく」が日本中で氾濫している。

大学でも、オープンキャンバスで「させていただく」が氾濫していた。集まった高校生相手に大学教授が「教授をさせていただいています」と自己紹介をするのだ。一人が言い出せば、次に自己紹介する教授も倣わざるを得ない。教授たちが高校生相手に「教授をさせていただいています」と次々に言う光景は異様ですらあった。

「~させていただく」は、一見すると丁寧な物言いだ。そこから「とりあえずこの言葉を使っておけば無難」と多くの人が口にすることにもなる。だが逆に言えば「こう言えば文句ないだろう」という慇懃無礼な言葉でもある。

 ある意味、「みなさまのおかげです」「お客様は神様です」の延長線だ。本心では思っていないのに、「とりあえず相手を立てておけば大丈夫」という生意気ささえ感じる。「あなたを教授にしたのは私ではない」という反発すら感じさせる言葉だ。

 もちろん、場合によっては「~させていただく」が適切な場合もある。パーティに招待された「出席させていただきます」は正しい使い方だ。だが使いすぎは滑稽で、回りくどい言い方に周囲をイライラさせることにもなる。わずか3分ほどのスピーチで、何度も「~させていただく」を言うのは多すぎる。

「~させていただく」を使う人がこれほど増えたのは、ネットの影響も大きいだろう。ネット社会では、ちょっとした言動がすぐ炎上につながる。たとえば俳優が記者会見で「主役の織田信長を演じます」と言えば、「いったい誰のおかげで主役になれたのだ」「監督や配給元、プロデューサーなどへの感謝はないのか」といった書き込みが殺到しかねない。一度叩かれると、過去の言動にまで遡ってあれこれ叩かれることにもなる。

 それが怖いから「演じさせていただきます」と過剰にへりくだることにもなるのだ。その意味ではネット社会から生まれた日本語とも言えるが、知的でないことは間違いない。

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