井上尚弥とのスパーリングは「DNAに刻まれるヤバさ」…勅使河原弘晶語る
✍️記事要約
井上尚弥(大橋)とマーロン・タパレス(フィリピン)のスーパーバンタム級4団体統一戦が目前に迫ってきた。バンタム級とスーパーバンタム級で2階級を制したタパレスはこれまでに日本人選手4人と対戦して計4勝1敗の戦績を残している。その中で直近の2021年12月、IBFスーパーバンタム級挑戦者決定戦でタパレスと拳を交えたのが勅使河原弘晶だ。井上とのスパーリング経験もある勅使河原に両王者のボクシング、そして2人への思いを聞いた――。《全2回の第1回/後編はこちら》
■ 少年院で読んだ、輪島功一の自伝
現在30歳の井上尚弥は幼いころからボクシングに打ち込み、アマチュア時代から数々の実績を残して世界にその名を轟かせるスター選手になった。一方、33歳の勅使河原弘晶は同世代のボクサーでありながら、井上とは対照的な人生を歩んできた。幼少期に義母から虐待を受け、すさんだ少年時代を送り、10代には荒れに荒れて少年院に入った。
自分には生きている価値がないと感じていた。将来は一生、刑務所で暮らすのだろうと思っていた。そんなとき、少年院で手にした一冊の本が人生を一変させた。元世界王者、輪島功一さんの自伝だった。輪島さんは建設現場で働きながらボクシングを始め、25歳でプロデビュー。努力と根性で夢を叶えた“炎の男”として知られる。勅使河原は本を読み終えた瞬間、「19歳の自分にできないわけがない。世界チャンピオンになって、生きている価値のある人間になる」と心に誓ったのだ。
■井上尚弥の衝撃
少年院を出るとすぐに輪島さんのジムの門を叩き、ゼロからボクシングを始めて11年にプロデビュー。がむしゃらに練習し、持ち前の気持ちの強さ、独特なリズムと距離感で徐々に頭角を現わした。2つの敗北を乗り越えて17年10月、WBOアジアパシフィック・バンタム級王座を獲得した。12年にプロデビューした“怪物”は世界2階級制覇を達成し、WBOスーパーフライ級王座の防衛を続けていた。勅使河原が井上と初めてスパーリングをしたのはこのころだ。
タパレスとの試合を最後に引退し、現在は寿司職人を目指して修行中の勅使河原は当時の衝撃をはっきり記憶している。
「尚弥選手が強いのは知ってましたけど、僕だって『ダウンくらい奪ってやろう』という意気込みでスパーリングに挑んだんです。でも、結果は何もできなかった。最後の4ラウンド目にガードの上から左フックをもらって、足が生まれたての子鹿みたいになるくらい効いちゃったんです。何とか発狂するように奇声を上げて向かっていって、ギリ倒れずに終わったという内容でした」
井上とスパーリングをして壊されたパートナーがたくさんいる。ウワサには聞いていた。実際に向かい合って、1階級下だった井上のレベルの高さに驚愕した。
■足が地面からはえてるんじゃないか
「足が地面からはえてるんじゃないかと思うくらい土台がしっかりしていて、その状態から打ち込まれるので、こっちが宙に浮いちゃうというか、ラウンドを追うごとに何もできなくなっていくんです。大橋秀行会長から『またお願いしたい』と言ってもらったんですけど、帰りの車内で体が交通事故にあったみたいにむち打ちが酷くて。トレーナーと相談して『ダメージがひどすぎるのでやめておこう』ということになりました」
2度目はないと思われたが、19年に再び声がかかった。トレーナーは断ってもいいという雰囲気だったが、勅使河原は「やりたいです」とパートナーを志願した。最初の手合わせから2年、勅使河原はクラスを上げて東洋太平洋スーパーバンタム級王座に就き、世界挑戦が見え始めていた。バンタム級に進出して3階級制覇を成し遂げ、なお無類の強さを誇る井上を相手に、自分の力がどこまで通用するのかを確かめたい気持ちもあった。ところが……。
「倒されはしませんでしたけど、1回目と同じでボコボコにされたんですよね。そのあとスランプになって、理由が分からなかった。なぜなんだろうと考えた末にたどりついたのが、尚弥選手とのスパーリングだったんです。なんて言うか、僕のDNAに刻まれるくらいのヤバさを味わった。実際に対峙して、殴り合って、僕の体に異変が起きた。そういう捉え方をしました」
■井上と試合をして1億円を稼ごうな
勅使河原は19歳でゼロからボクシングをはじめ、人生のすべてを世界チャンピオンになることに捧げていた。同時に近い階級で圧倒的な輝きを放つ井上尚弥という存在も、強く意識するようになっていた。
「僕は尚弥選手と絶対に試合をすると思っていたんです。僕がスーパーバンタム級で世界チャンピオンになって、そのころに尚弥選手が階級を上げてくる。ジムの三迫貴志会長も言ってくれてたんですよ。井上と試合をして1億円のファイトマネーを稼ごうなって」
■2021年12月、タパレスとの挑戦者決定戦
勅使河原は20年8月、恩師の輪島会長の了解を得て、大手の三迫ジムに移籍し、世界タイトル挑戦のチャンスを待った。東洋太平洋タイトルを4度防衛し、ランキングはIBFスーパーバンタム級3位まで上がった。21年秋、ついに挑戦者決定戦のオファーが届く。同級4位で元WBOバンタム級王者、タパレスとのIBF挑戦者決定戦は同年12月11日に決まった。
決戦の地はアメリカ西海岸、カリフォルニア州カーソンのディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク。井上が17年に初めてアメリカで試合をした舞台でもある。勅使河原は海外で試合をしたこともなければ、外国に行ったこともなかった。相手は元バンタム級世界王者で、2階級制覇を狙う強敵だ。不安がないと言えばウソになるが、ついに巡ってきたチャンスに武者震いした。勅使河原は記者会見で力強く言い切った。
「タパレスはいい選手だと思っているけど、倒して勝って当たり前だと思っている。KO勝ちして世界タイトルマッチに挑みたい」
このとき、勅使河原は最後に負けた試合以降、10連勝をマークし、そのうち9試合をKO勝ちしていた。さらにそのうちの5人がタパレスと同じサウスポーで、そのすべてをノックアウトしていた。世界タイトル奪取に必要な勢いがあった。勅使河原は大きな自信を胸にアメリカに乗り込んだ。
■ 逆ワンツーも「効いてねえぞ」
タパレスとの一戦を迎えるにあたり、三迫ジムの腕利き、加藤健太トレーナーは自信を持っていた。タパレスは日本人選手の木村隼人、大森将平(2戦)、岩佐亮佑と対戦しており、情報の足りない選手ではなかった。このうち負けたのはIBFスーパーバンタム級王者になった岩佐だけだから強敵には違いないが、「難攻不落」のチャンピオンではないと感じていた。
ところが試合が始まると、タパレスの強さ、それ以上に“うまさ”が予想を超えていた。勅使河原弘晶は次のように振り返る。
「少しずつ崩していこうと考えていたんですけど、思ったよりも距離が遠かった。タパレスからは集中力の高さと殺気を感じました。最初の1分半、ミスしたほうがやられるなという緊張感があって、逆ワンツーをもらって会場が沸いていたけど、『効いてねえぞ』と思って。うまいなと感じましたね。それでちょっとポジションが悪いから左に移動しようと考えたところまでは覚えているんですけど……」
■ これは当てるまで時間がかかるな…
タパレスは元WBOバンタム級王者であり、海外経験も豊富で勅使河原よりも大舞台になれていた。その違いもあっただろう。コーナー下で戦況を見守る加藤トレーナーはすぐに修正の必要性を感じていた。
「タパレスはパンチがあって振ってくるイメージの選手だったので、逆にこちらのパンチは当たるかなと思っていたんです。そうしたらタパレスは後ろ重心で深く構えて思ったより距離が遠い。これは当てるまで時間がかかるなとすぐに思いました。反対にテッシー(勅使河原)は練習してきたことを出そう、出そうと気持ちが前に出ていた。だから『当てにいかないで、まずはディフェンスをしっかりしよう』と言おうと思っていたら……」
■ 最初の1分半くらいしか記憶はない
勅使河原は引き込むように戦っていたタパレスの一撃を食らってフラフラになってしまう。警戒していたはずの右フックだった。追撃でダウン。何とか立ち上がったもののダメージは深刻だ。辛うじてゴングに救われたが、インターバルでコーナーに戻ってくると目の焦点が合っていない。加藤トレーナーは指示も出せず、できるだけ回復させるのがやっとだった。
完全に記憶の飛んだ勅使河原は2ラウンド開始のゴングに応じるものの、再び右を食らってキャンバスに崩れ落ちる。レフェリーは迷わず試合終了を告げた。KOタイムは2回6秒。世界チャンピオンになるためだけに生きてきた勅使河原の夢は、その一歩手前であっけなく散ったのである。
「最初の1分半くらいしか記憶はないですね。あとから映像を見て、ダウンから立ち上がったときに、レフェリーに『イッツオーケー』って言ってるんですよ。英語、しゃべれないのに」
■ テッシーはここで終わるような男じゃない
試合を終え、リモートで日本メディアの取材に応じ、勅使河原はチームのメンバーとともにイン・アンド・アウト・バーガーへ食事に出かけた。気がつくと、シートに座りながらうとうと寝てしまったという。
「試合が終わったあとはいつも興奮して24時間とか寝られないんです。でもあのときは寝てしまった。自分の中でもう終わったと感じていたんだと思います。加藤さんにホテルの部屋まで連れて行ってもらって、そのとき『テッシーはここで終わるような男じゃない』みたいなことを言ってもらったんです。加藤さんのことは兄貴のように慕っていたので、心に響きました。それで加藤さんのために続けようかとも思ったんですけど、やっぱり心がついていかなくて。でも、最後は一切妥協せずに練習してあの結果ですから、まったく悔いはありませんでした」
■ オレ、こんなところで何やってるんだろう
ボクシングを離れ、1年間は好きなことをして遊んだ。そんなとき、現役時代に応援してもらっていた経営者から、マレーシアに寿司屋を出店するからそこの店長にならないか、という話をもらった。寿司に興味はなかった。包丁を握ったこともない。海外に住んだ経験もないし、英語もできない。それでも、いや、だからこそ、勅使河原は「チャレンジしがいがあるのではないか」と考えた。経験ゼロでスタートしたボクシングだって気持ちだけであそこまでいけたんだから、やってできないことなんてない。こうして寿司職人になるため、銀座の高級寿司店で修業を始めたのである。
あれだけ没頭したボクシングからは完全に離れた。ただし、タパレスが23年4月、WBA・IBF王者だったムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン)を下し、2団体の世界チャンピオンになったというニュースには興奮した。そしてタパレスは今、あの井上尚弥と4団体統一をかけた大一番の舞台に上がるまで出世した。はるか遠くに上っていったライバルの姿は、かつて世界を目指した男の目にどう映っているのだろうか。勅使河原は「“たられば”って嫌いなんです」と前置きしてこう答えた。
「魚をさばきながらときどき思うんですよ。オレ、こんなところで何やってるんだろうって。あのとき僕が勝っていたら、タパレスがいま寿司職人を目指して魚をさばいてると思うんです(笑)。ボクシングの1試合って大きいですよね。僕があと2つ勝っていれば、尚弥選手とやるところまでいけたわけじゃないですか。でもそのあと2つが本当に大変なんですよね」
■タパレスしか応援しないですよ(笑)
タパレスは寿司職人にはならず、世界チャンピオンとして井上との統一戦を迎える。「心情的にタパレスを応援したくなるのでは?」と水を向けると、勅使河原はいたずらっぽい笑みを浮かべて即答した。
「いやいや、タパレスしか応援しないですよ(笑)。もちろん日本人として尚弥選手に勝ってほしい気持ちはあります。けど、それ以上にタパレスは僕のボクシングの夢を全部奪ったボクサーですから。お前の拳にはオレの人生も乗っかってるんだぞ、というのはすごい思ってますね」
予想を聞かれれば「井上のKO勝ち」と答えるしかない。それでもなお、自分のボクシング人生を終わらせたタパレスには、堂々とモンスターに立ち向かい、あわよくばひと泡吹かせてほしいと心から願っている。平日の26日はもちろん仕事だ。有明アリーナには行かない。ただ、もし時間が許すのであれば、厨房でこっそりスマホ観戦しようと思っている。
勅使河原弘晶
(てしがわら・ひろあき)
1990年6月3日、群馬県生まれ。少年院で輪島功一の著書を読み、ボクシングを始める。2011年プロデビュー。WBOアジアパシフィックバンタム級王座、OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得した後、2021年12月にIBF世界スーパーバンタム級王者への挑戦権が懸かった決定戦でマーロン・タパレスと対戦し敗北。2022年に現役引退、現在はマレーシア・クアラルンプールでの寿司屋開業を計画し、銀座の高級寿司店で修行中
◇ ◇ ◇