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財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実[2021.1.8]

財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実


【記事詳細】東洋経済オンライン

⭐︎記事要約⭐︎

大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた

大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」であった。
これはつまり大学入試において、いかに受験生が公平に試験を受けられ、かつ公平に判定されるか、ということを指していた。
なぜ「公平さ」に集中するようになったのか。その歴史を振り返って考えてみたい。

■■出世に「家系」が不可欠だった日本■■
 学校(中等教育、高等教育)において入試が導入されたのは明治時代、学校制度が整備された頃までさかのぼる。明治18(1885)年に森有礼が初代の文部大臣として就任すると高等学校令、中学校令などの学校令を公布。諸々の学校の設立・整備に着手した。その中の1つとして、帝国大学(今の東京大学)や旧制高等学校で入学者を選抜する入試が導入された。
 当時の帝国大学出身者は、高等文官試験に合格すれば、基本的にはそのままエリート官僚となっていった。なお学校令交付前は、当時の雄藩(薩摩、長州、土佐など)出身の旧武士の子弟が、コネを使うことで各省に入省し官僚になることができた
このように江戸時代や明治時代の初期は、出世するには「家系」が大切で、かつ、どの藩の出身かという「藩閥」が幅を利かせていた時代であった。しかしこれでは雄藩以外で育った有能な人を排除することになるので、不公平であり、彼らを排除するのは国家の損失と考えられたのである。
 慶應義塾の創設者・福沢諭吉が記した『学問のすゝめ』には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」という一文が記されている。あまりに有名なこの言葉だが、実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる。
こうした世の中の不公平を是正するためにも、政治家や教育界を中心に、旧制高校や帝国大学、各省庁に入るさいのコネによる入学、入省を排除し、公平な試験を課して有能な人を選抜する方策を導入するべし、という機運が社会全体で高まっていく。

■■試験に合格すればエリートになれる■■
 その主張は「学力を問うべき」というのが中心で、つまりは試験の得点で合否を決めよ、というものであった。学力到達度は数字で表せるので、これが誰をも「不公平」に扱うことがない制度であると信じたのだろう。
 明治維新が始まってすぐの1870年代頃から試験に合格した学問的な優秀者のみが、旧制高校や帝国大学で学ぶ資格があるとされ、その後、高等文官試験に合格すれば高級官僚として働く資格がある、というふうに社会的にみなされるようになった。
社会の上層部に行きたいと思う人は学校で勉強に励み、できるだけいい学校に行くことがその最短距離になっていった。
 その通過点や到達点が帝国大学(現・東京大学)であり、高級官僚である。1886年の帝国大学令の施行によって帝国大学卒業生には学位が授与されることになり、帝大出身者は官僚の世界のみならず世間一般からもエリートとして遇されるようになった。そこから、「勉強の良くできる人が社会のエリートになる」という既成事実が生まれていく。これがいわゆる「学歴社会」の萌芽(ホウガ)である。

■■「教育の機会平等」という原則の意味■■
 考えなければならないのは「教育の機会平等」という原則の意味である。
この原則そのものは、つまり「親の出身や経済状況によって、子弟の教育に不平等、あるいは不公平があってはならない」ということ、そして「教育を受けたいと思う人に対し、社会はその達成への障害を与えてはならない」ということを指し示したものと考えられる。
 一昔前の日本であれば、学費は高くなかった。たとえば筆者が大学に入学した1967年当時、国立大学の授業料は年1万2000円にすぎず、学費そのものの壁はそこまで高くなかった。
そして今では授業料はもちろん、かかる生活費も高くなり、進学先が国立大学であろうと、奨学金を受けようと、極度の貧困家庭において子弟を大学進学させるのは困難となった。一方で豊かな家庭ほど、レベルの高い大学への進学を果たせるのがあたり前になりつつある。
 2020年初頭からの新型コロナウイルスの広がりにより、アルバイトの口が減るなどし、「大学生活をあきらめる」という判断を下す学生が出てきていることが新聞などを通じて報道されている。
文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表したが、これなども教育の機会不平等、あるいは不公平にまつわる話題だろう。ただ大学進学に先立って、名門・有名大学への進学を目指すなら、今や高校どころか、小中学校の時から準備せねばならない。そして水準の高い学校へ進学するには、普段から塾に通ったり、家庭教師についてもらったりする必要も生じてくる。

■■東大生の高すぎる世帯年収■■
 たとえば、東京大学在校生の家庭環境について調べた「2018年学生生活実態調査の結果」では、その世帯年収について「950万円以上」が60.8%にまで達し、メディアを通じて話題になっていたのは記憶に新しいところだ。ちなみに「平成30年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によれば、2017年の日本全体の平均世帯年収は551.6万円。単純に比較はできないものの、東京大学合格者を輩出した家の多くが、日本の平均世帯年収よりずっと高い所得である、ということは言えるだろう。
 つまり、今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」とは、そのまま家計の経済的豊かさに帰因していることが分かる。このような中で、もともとの「教育の機会平等」という言葉が持っていた意味は、すっかり変容したと言わざるをえない。
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★文科省【教育の機会均等】

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